第1章 デンソー・オートモーティブ・オーストラリアの歴史
品質と安全とデンソースピリット
1972-1982
デンソーでは、安全と品質こそ、経営理念の第一に据えられるべき二つの要素であることを、創業期から会社として認識していた。これは1949年の創業以来会社の成功を支えてきた、確固たる哲学である。
デンソーの部品とシステムが高品質であるという評価は、オーストラリアに製造拠点を置く以前から知られていた。1972年までにデンソーがオーストラリア、メルボルンのアルトナにデンソー・マニュファクチュアリング(DMAU)を立ち上げるにあたって、オーストラリア事業の持続可能性と未来を確かなものにするには、品質と安全の文化をオーストラリアの組織に深く根付かせる必要があることを理解していた。
それから20年間で、後に労働安全衛生(OH&S)として知られるようになる規制の枠組みにも対応したほか、技術と顧客のニーズの急速な変化に合わせて、カーメーカーの間で整備を進められつつあった厳しい品質基準にも対応した。
特に関税障壁が徐々に撤廃される中で、日本にあるデンソーのほかの工場から輸入される製品に負けないだけでは不十分であることを、デンソー・オーストラリア(DNAU)は認識していた。品質の向上にも取り組み、デンソー・オーストラリアが最良のサプライヤーであることを、カーメーカーに示す必要があった。
1984
1984年にオーストラリア政府が自動車産業のための新計画を導入し、自動車と自動車部品の輸入関税を実質的に引き下げた。これにより、海外から輸入される部品に対抗できる最高品質の部品を現地で生産することがこれまで以上に重要になることを、DNAUは把握していた。それがコストの削減にもつながる。
トヨタの影響を受けた現地のカーメーカーが非常に高い基準を設定していることを理解していたデンソーは、あらゆる業務にそれを反映させる必要があった。トヨタだけでなく、GMH社、フォード社など他のメーカーにとっても最高の自動車部品サプライヤーとなることを目指すのである。デンソーのその基本理念は、ゆっくりと、そして着実に、メルボルンのアルトナの工場やその他あらゆる現場に浸透していった。
1988
1988年7月、マネージングディレクター(Managing Director)のトニー・クスノキ(Tony Kusunoki)は、新しいデンソー・オーストラリアの使命と経営理念に基づいた経営をスタートさせた。六つの経営理念の2番目に掲げられたのが、品質であった。クスノキが言うように、「品質の鍵は、『我々の工程の次にはお客様がいる』という理念に全力を尽くすことによって、業務のすべてのプロセスの中に品質を組み込むことである」。すべての面で高品質を達成して顧客満足を達成するためにサプライヤーを家族の一員として扱う姿勢は、この理念から生まれた。競争力のある価格と高品質を維持するために、DNAUは品質管理とより高い基準への投資を増やせるように、コストを削減する方法を検討した。その成果が、安全体制の確立であった。効果的な事故予防対策は、管理者が取り組むことのできる最善のコスト抑制プログラムの一つだからである。
1989
1989年までに、デンソー・オーストラリアは国内のほかの多くの製造拠点に比べて安全性が大きく向上していた。オフィス、店舗、工場の各部門に労働安全衛生担当者が置かれた。安全靴、耳栓、保護メガネ、防護服が数年かけて導入された。各部門の安全責任者と併せて専任の労働安全衛生担当スタッフを任命し、その全員に対して全社の現場監督者とともに定期的な研修を実施した。
※ND News、Vol.14、No.3、1989年4月、p.4
半年ごとに労働安全衛生認定コースが実施された。対象となる分野は、例えば危険性の特定と管理、そうした問題に対する解決策の見つけ方、改善作業方法の設定への参加、物的リスク調査、保管と取り扱いなどだった。
※ND News、Vol. 14、No.5、1989年6月、p.9
1990
1974年にアルトナの小規模なエンジニアリングチームに加わったエイダン・カーター(Aidan Carter)は、DNAUが世界の他地域に先駆けて日本企業のエンジン冷却事業を受注した1990年の時点で、デンソー製品の品質が頂点に達したと回想している。
※エイダン・カーターへのインタビュー、2022年11月14日
デンソー・オーストラリアは、この分野で成功を収めるためには企業文化が重要であることを認識していた。同社ではデンソーの基本理念、具体的にはデンソースピリットの原則に基づいて、製造ライン、流通、オフィスを問わず全社員を巻き込み、事故や異常の原因究明に取り組むとともに、安全システムを整備してその原因を可能な限り排除するための措置に着手した。
例えば、アルトナで組み付け作業員の反復運動過多による損傷が増加した際には、デンソーは原因を迅速に調査し、作業者がラインに入るローテーションを変更するなどして、この具体的な問題に対処した。
同様に1990年の初めには、会社の経営理念に沿うことで生まれる継続的改善(つまりデンソースピリットの原則の一つである「カイゼン」)により、UUAI(トヨタとGMH)、三菱、フォード社の優先的なサプライヤーの地位を得ることができたことをDNAUは学んだ。※1 これは経営陣だけでなく、同社に長く勤める社員の多くにとっても非常に大きな出来事であった。1990年の第3四半期までに、トヨタはDNAUの品質と納入を「優秀」と評価した。※2
1990年12月、DNAUは「マシンロックアウト」に焦点を合わせた新たなプロジェクトを実施した。「危険、命、守れ(Danger Life Protection)」タグを導入し、保守作業中に機械の操作が行われないようにしたのだ。これは現在では当たり前のこととされているが、当時のデンソー・オーストラリアにとっては画期的なことであった。
1990年8月までにはDNAU内のこうした企業文化の変化と安全に対する姿勢が、多くの成果をもたらしていた。新しいワークケアプログラムに対して政府に支払われていた年間の徴収金が減って、これが会社の資金の増加に繋がった。DNAUによるとこの成果の要因は、安全の機運が高まり信頼性が増したこと、現場の監督者とマネジャーと安全責任者が事故の防止に専念したこと、リハビリの技術が向上して長期の欠勤をしなくてすむようになったこと、そして社員の間で意識と連携が高まったことであった。※3
※1 Denso News、Vol.15 No.3、1990年8月、p.1
※2 ND News、Vol.15 No.8、1990年12月、p.10
※3 ND News、Vol.15 No.6、1990年8月、p.5
1991
1991年9月にはオーストラリアン・オートモーティブ・エアー(AAA)が設立された。新入社員全員に支給される『AAA Associate Handbooks(AAA作業員ハンドブック)』には、安全性に関するさまざまな注意が記されていた。新入社員は「事故はただ起こるのではない―引き起こされるのだ」という言葉を胸に刻むように教えられた。この試みはその後も継続・強化される。安全上の課題と安全責任者委員会の業務を、DNAU内の意思決定プロセスを通じて進めるために、執行安全委員会が設けられた。この委員会の役割は、方針を打ち出し、それを精査して実施することである。
※ND News、Vol.15 No.2、1990年4月、p.5
1991年10月には、ビクトリア州労働安全衛生局(旧労働省)のCEO(Chief Executive Officer、最高経営責任者)が、同社のマネジャーらと対話を行い、労働安全衛生の法的枠組み、連邦の制度への適合性、会社と個別社員との関係性についての認識を高めた。労働安全衛生研修コースを受講する対象者はやがて、会社全体のすべての管理職、スタッフ、工場社員へと拡大された。
※The Innovator、1991年10月、p.9
1992
DNAUは1992年5月に、援助が必要な社員を支援してコミュニティーサービスとつながりを持たせる、社員支援プログラムを導入した。これによって同社は、個人的なストレスを受けている社員が、職場の労働安全衛生に影響を与える可能性があることを認識した。
※The Innovator、1992年5月、p.8
1992年10月に、アルトナのDMAUはフォード社の品質評価で「Q1」を獲得した。これはフォード社のサプライヤーの中から、国際的な基準にかなう製造能力を持つ企業を世界的に表彰する賞である。優れた製品品質レベルの達成だけでなく、廃品、手直し、廃棄物、そして継続的なコスト改善のシステムとプロセスの導入も、表彰の対象となる。
同じ月には、執行安全委員会と安全責任者委員会が合同会議を開き、「これまでに何を達成し、これから何を改善できるか」について話し合った。1992年にアルトナから報告された事故、異常、負傷の数は削減目標を達成していた。
1992年の倉庫・物流部門におけるディーゼルポンプやエアコンの補修部品用ラックの改善はその好例で、これによって効率や製品の流れだけでなく、安全性も向上したのである。
※The Innovator、1992年9月、p.6
1993
当時、オーストラリアの製造現場における安全プログラムは総じてかなり旧態依然としたものであった。すなわち、組織に組み込まれておらず、効果が限られたトップダウンの安全委員会と安全キャンペーンと奨励策だけが頼みの綱であり、それによって安全コストや負傷のレベルが抑制される効果はほとんどなかった。
1990年初頭までに策定された、いわゆるワークセーフプログラム施行下のオーストラリアで、安全検査官が施設を検査できるようになっても、損失の発生を防ぐには不十分であった。その理由の一つは、1993年に労働安全衛生分野(労災保険)のある幹部が語ったように、「社員は安全プロセスの一部とされていなかった」ことだった。
※Chamber Gazette、Vol.2、No.1、1993年12月、p.1
経営陣は、雇用を通じて社員の日常的な安全に責任を負うことをしっかりと理解していた。この目的を達成するために、DNAUは全社的な社員の取り組みだけでなく経営陣の積極的な関与を強く主張した。職場の事故で生じる社員の作業休止のコストを削減しようとする経営陣には、危険性の排除に密接に携わって安全プロセスと社員の健康を継続的に改善しようという強い動機があった。
DNAUのごく初期には、これが理にかなっているという明確な認識があった―つまり生産性と社員の意欲が高まることで、離職率は低下する。そこで社員が積極的に安全に関わるように奨励することで、業務に対する社員の意欲も高まると、作業プロセスの改善、ひいては品質の改善につながる革新的な数々のアイデアが生み出されることとなった。
そのようにして、1993年の目標は「休業災害ゼロ」に設定された。安全委員会が指摘したように、政府による健康安全およびワークカバー(労災保険制度)の変更は、「会社は自らの問題に対する独自の解決策を考え出さねばならない」ことを意味した。
※The Innovator、1992年12月、p.9
1991年に入社した次長のラッセル・ジョプソン(Russell Jopson)は、「…デンソーの考えでは安全と品質はどちらも最優先事項であり、DNAUの事業活動がデンソーの高い基準を満たすように、極めて厳しく対処していた」と述べている。たゆまざる改善活動(カイゼン)の精神に基づき、DNAUは例えばカメラビジョンシステムを設置するなど、可能な限り検査プロセスを自動化したと、ジョプソンは言う。
彼は次のように述べている。「社員の安全パフォーマンスは会社全体、そして世界中に毎月公開されていた。そうなると問われるのは、問題について何がなされたのか、ということであり、どのような是正措置がとられたのか、ということであり、それを学習体験として、他のデンソーのグループ企業とどのように共有するのか、ということだった」
※ラッセル・ジョプソンへのインタビュー、2022年11月9日
1993年11月、クロイドンにあるDNAUのエアコン生産事業(マネージングディレクターのチャーリー・ムロドノ<Charlie Murodono>率いるAAA)が、毎年恒例の「Victorian Prevention Award(ビクトリア州労働災害防止賞)」を受賞した。これはパレット処理およびパッケージシステムによる、労働安全衛生の革新に対して贈られたものだった。ローラーコンベヤーとシザーリフトを使用することで、コンベヤーからパレットに手動で荷物をつり上げる必要がなくなったのだ。このシステムのおかげで作業員から腰痛や疲労の報告が減り、生産性が向上した。実際、新システムを導入してからその作業エリアで腰痛の訴えがなくなった。労働安全衛生は経営のベストプラクティスと切り離せない関係にあり、デンソーの経営戦略に欠かせない要素であることは、誰の目にも明らかだった。
※Croydon Post、1993年11月3日、p.7
1993年12月にはAAAが1993年連邦自動車産業会議所の「Quality Circle Award(QCサークル賞)」を受賞して、この素晴らしい年を締めくくった。
AAAは設立当初から三つの主要な安全教育の原則と優先事項に焦点を当てていた。すなわち、安全の問題に対する意識を高めること、安全に対する個人の責任を明確にすること、そしてデンソースピリットの原則に沿って新しいアイデアを生み出す創造的な思考を奨励することだ。
1999
1999年半ばには、AAAは継続的改善と事故原因根絶の取り組みによってSafety MAPの認定を受けた。Safety MAPはビクトリア州政府のイニシアチブであり、「Safety Management Achievement Program(安全管理達成プログラム)」の略称である。職場での事故、けが、病気のコストと頻度を減らす有効なプログラムをDNAUなどの企業が開発する際に、このプログラムを利用することでその進捗状況を評価・監査できた。
当時のビクトリア州産業大臣の言葉を借りるなら、Safety MAPの認定によって、企業は健康と安全の不備がもたらすコストをいかに削減したかだけでなく、このアプローチを活用して品質の優位性の維持に欠かせない品質システムをいかに構築したかを示すことができた。既存の品質基準に適合するように設計されたこのプログラムには、品質管理で用いられる多くの原則が活かされている。最初の輸出を促進するためでもあったデンソー・インターナショナル・オーストラリア(DIAU)の設立は、製造とDNAU全体の品質達成の証しとなった。
※Chamber Gazette、Vol.2、No.1、1993年12月、p.5
2001-2006
アルトナのDMAUは2001年に閉鎖された。
2002年にはDNAUがAS/NZS 4801認定(現在は45001)を取得したことで、労働安全衛生関連法を順守し、社員と利害関係者にとって安全な職場を作り上げてきたことが証明された。同時に、アメリカのカーメーカーの「ビッグスリー」であるゼネラルモーターズ(GM)社、クライスラー社、フォード社が共同で策定した品質規格「QS 9000」の認証も取得した。
同じ年、DNAUはGM社の「Quality Supplier of the Year(年間最優秀高品質サプライヤー)」賞を受賞した。その後QS9000規格の廃止に伴い、ISO 9001へと移行した。これは主に顧客満足の達成を目的として品質システム要件を規定した国際規格である。
DNAUの変化は続いた。2003年と2006年の工場拡張を経て、AAAはその地で単独の生産拠点を実現することを目標に掲げてクロイドンへと移転した。
2007-2008
安全と品質の両方を含めた継続的改善に自動車部品サプライヤーとして取り組んだ証しとして、2007年と2008年に、DNAUは連邦自動車産業会議所の「Supplier of the Year(年間最優秀サプライヤー)」賞を受賞した。
2009-2017
2009年、DNAUは自動車産業に特化した世界的品質規格であるIATF 16949認証も取得した。IATF 16949は補給品または自動車組み付け用部品(市販部品ではない)を生産する現場に適用され、顧客固有の要求事項に焦点を合わせている。その年の後半から2010年にかけてデンソー・オーストラリア(DNAU)の大規模な改革が行われ、「新しいDNAU」、すなわち「One DENSO」が誕生した。これによってDIAUとAAAはクロイドンで統合された。
2011年にはクロイドンに新しい物流センターが加わった。こうしたクロイドンの現場の拡張においても、数十年にわたってDNAUの特質であり続けてきた品質と安全に対する継続的な取り組みが行われた。
しかしこうした成果の背景には、小規模ながら競争の激しいオーストラリアの自動車市場における大きな課題があった。オーストラリアではカーメーカーが次々と―最後にはトヨタが―撤退計画を発表して自動車産業が衰退し、それを支えていたありとあらゆる裾野産業もともに消滅した。DNAUも例外ではなかった。オーストラリアにおける製造拠点の合理化を余儀なくされたデンソーは、製造事業を終了した。
2018-2022
2017年以降、会社の焦点は現地のアフターマーケット製品販売と、オーストラリアを拠点とするグローバル研究開発エンジニアリングへとシフトした。「45年にわたるオーストラリアでの操業を経て、2017年に現地での製造を終了するという決定は、最も重大かつ困難な決定の一つだった」と、ある次長は述べた。
会社は販売・研究開発部門として再編成され、クロイドンには現在もデンソーの相手先商標技術の顧客にサービスを提供するために必要な物流センターが維持されている。1991年に入社したDNAUの社長兼CEOであるギャヴァン・キーナン(Gavan Keenan)は、デンソーの品質面と安全面について次のように振り返っている。
『品質面については、本当に、実に興味深いと思います。それは品質が本質的に、その多くをデンソーも採用したいわゆる「トヨタウェイ」によるものであるという点です。実際それは日本企業であるかないかという問題ではありません。重要なのは挑戦する意思があるかどうかなのです。なぜなら、トヨタウェイを採用することは大変難しいことだからです。しかし繰り返しますが、私たちはそれを理念として掲げました。すべての企業が実際にそうした挑戦を行う準備ができているわけではありません。ですから重要なのは、そうした原則、デンソーの理念を採用する備えができているかどうかです。
安全面についても、デンソーは正直に言って日本の安全基準より一段上にあると思います。安全にはコストがかかるという理屈を、デンソーは間違いなく認めないでしょう。それは必要なものの一部なのですから。実際私たちは安全を確保するために、投資の面でかなり思い切ったことをしています。他の多くの企業なら二の足を踏むと思いますが、私たちは当然のこととして実践しているのです。それはコストが少しばかり多くかかることを意味するのかもしれませんが、長い目で見れば社員の福利厚生が守られますし、もちろん休業要求も減ります。「安全より利益優先」を目標に掲げない会社で働けることは、本当にありがたいことです。』
※ギャヴァン・キーナンへのインタビュー、2022年11月3日
デンソー・オーストラリア・グループは現在もデンソースピリットに基づいて、最高水準の品質と安全と革新に全力を注ぎ続けている。