豪亜地域の物語

第2章 デンソー・タイ・グループおよびカンボジアの歴史

1960年(タイにおける自動車産業の始まり、保護時代)
50年前のバンコク
50年前のバンコク
大まかなタイ自動車史
大まかなタイ自動車史

タイにおける自動車産業は1960年代に始まった。当時、タイ政府は輸入を減らすために国内での自動車製造を促進する政策を進めていた。タイ政府は国内生産を奨励するために投資委員会事務局(BOI)を設立していた。その基本使命は、投資促進政策を定め、外国人投資家を呼び込むための刺激策を提供することであり、これは現在も変わらない。自動車産業は政府が最初に対象とした産業の一つであり、政府は輸入関税と完全現地組み立て部品(CKD)キットの税金を引き下げて、外国のカーメーカーがタイに投資して自動車の組み立てを始めることを奨励した。

1970年代までにタイのメーカーはその生産能力を広げ、現地で周辺部品を生産するようになった。1970年から1999年にかけて、タイは国内産業を保護するために、現地調達率引き上げなどの政策を積極的に実施した。

円高ドル安
円高ドル安

こうした政策と1971年以降の円高により、日本で生産された輸出向け製品の価格が上昇し、日本製品の世界市場における競争力が大きく低下していた。その結果日本のメーカーは競争力を維持するために、日本国外での生産拠点の確立に投資を行った。こうしたことから、デンソーは、1972年に初めて日本国外に生産拠点を設立することを決定したのである。

1972年(ニッポンデンソー・タイランドの設立)
デンソー・サムローン工場
デンソー・サムローン工場
デンソー・タイランドの制服
デンソー・タイランドの制服

ニッポンデンソー・タイランド(1996年にデンソー・タイランドに社名変更)は1972年8月22日に設立され、その本社はサムットプラーカーン県に置かれた。デンソー・タイランドは、デンソー・グループで2社目となる日本国外の製造会社・工場である(初の海外工場はオーストラリアだった)。ニッポンデンソー・タイランドの初期の主要事業は、空調制御装置、電気部品、オルタネータ、スターターなどの自動車部品の生産であった。タイに設立された当初のニッポンデンソー・タイランドは小さな組織であった。しかしながら社員たちは皆よく連携して働き、お互いが家族の一員であるかのように支え合った。この強い絆が、現在に至るまでまぎれもないデンソーの良さであり続けている。

1987年(事業拡大とデンソー・ツール・アンド・ダイ・タイランドの設立)
チョンブリ県バーンパコンにある2番目の工場
チョンブリ県バーンパコンにある2番目の工場

ニッポンデンソー・タイランドはASEAN(Association of South East Asian Nations、東南アジア諸国連合)地域の経済とともに成長していた。1987年にはデンソー・ツール・アンド・ダイ・タイランドが設立され、鋳造金型とプレス金型を生産してニッポンデンソー・タイランドの生産活動を支えた。金型製造技術の継続的な開発を行い、最大10ミクロンの精度で最大15トン規模の金型を製造できた。自動車ソリューションのグローバルリーダーを目指すデンソー・ツール・アンド・ダイ・タイランドは、デンソー・タイランドの機械と自動化システムと研削インサートに金型製造を組み込むことで、完全な機械・金型ソリューションと包括的なサービスを提供した。ビジネスモデルとサービスの変化をより的確に反映させるために、デンソー・ツール・アンド・ダイ・タイランドは2021年9月1日をもってデンソー・イノベーティブ・マニュファクチャリング・ソリューション・アジアに社名を変更した。

1998年(AFTA:ASEAN自由貿易地域、地域競争と貿易自由化の始まり)
AFTAとASEAN+1FTA
AFTAとASEAN+1FTA

ASEAN自由貿易地域(AFTA)協定の実施に伴い、1993年以降ASEAN諸国は加盟国に対する輸入関税を段階的に引き下げてきた。特恵関税率の適用を受けるためには、輸入製品が原産地規則を満たす必要があった。さらに自動車と自動車部品は40%の現地調達率を満たす必要があった。また加盟国は、2010年までに6カ国(タイ、インドネシア、マレーシア、フィリピン、シンガポール、ブルネイ)、そして2015年と2018年までに残りの4カ国(カンボジア、ラオス、ミャンマー、ベトナム)について、事実上すべての輸入品にゼロ関税率を適用することにも合意した。

1995年(デンソー・タイランド工場の拡張とASEANの成長)

力強い経済成長、購買力の高まり、官民両部門における貿易と投資の拡大を反映し、ASEAN地域の国内総生産(GDP)の合計は1970年代から1990年代にかけて7~9%増加した。ASEAN地域の需要拡大に対応すべく事業の拡大に努めたニッポンデンソー・タイランドは、1995年にチョンブリー県のバンパコンに第2工場を設立し、主にオルタネータやスターターなど、自動車の電気部品の製造を行っている。その翌年、ニッポンデンソー・タイランドはデンソー・タイランドに社名を変更した。

1997年(アジア通貨危機/トムヤムクン危機)
1997年のバーツ安ドル高
1997年のバーツ安ドル高

1997年7月、タイ政府がタイバーツの変動相場制への移行を表明したことが引き金となり、タイではトムヤムクン危機と呼ばれる、アジア通貨危機が発生した。しかしながら危機の根源は1993年にタイ政府が、オフショア市場を開設して地元企業の融資のために海外から借入を行うことを商業銀行に許可したことにさかのぼる。これによって不動産や住宅、マンション建設計画に投資するための融資を簡単に受けられるようになり、それらは後に資産の基本価値を上回る価格で売却された。加えて、多くの投資家が借入をして株式市場に投資した。こうした資産価値の暴騰で膨らんだバブルは最終的に弾けて壊滅的な結果を引き起こした。1996年に国内の不動産市場が減速し、新規開発が減少したために、海外からの融資が枯渇し始めた。債権者はタイの債務履行能力を疑い始め、外国人投資家はタイから資金を引き上げようとタイバーツを売り始めた。バーツは下落を続け、タイ経済に深刻な影響を及ぼした。流動性の問題で多くの企業や産業が閉鎖に追い込まれ、失業率が急上昇した。危機はアジアのほかの国々にも広がった。

自動車産業は深刻な影響を受けた。タイの自動車販売台数は1997年に38.6%、1998年に60.3%減少した。これはデンソー・タイランドの事業の継続のみならず、会社自体にも大きな問題となった。 消費者購買力の急速な低下もデンソー・タイランドへの大きな打撃となった。しかしこのような苦境にあっても、デンソーは社員を一時解雇する方針をとらなかった。デンソーは常に社員を財産として重んじてきた。社員を家族と考えるデンソーにとって、一時解雇は何としても避けねばならない手段だった。代わりにこの機会を利用して、社員のスキルアップのための研修プログラムの立ち上げとその拡大を行った。このことはデンソーにとって、危機をチャンスへと変える企業文化を示す機会となった。社内研修に加え、デンソー・タイランドでは労働者を派遣して日本の親会社で機械・工具製造について学ばせ、スキルと知識を向上させて自国の会社の発展に貢献できるようにした。また、デンソー台湾での生産支援のために作業員グループを派遣した。オペレータスタッフに理解と協力を求め、部品発注がなくなったことに対応して勤務時間を週3日に短縮したほか、離職を希望する場合には自発的離職プログラムを用意して社員が自ら決断できるようにした。関係者全員の十分な理解と協力の上で、複数の対策が講じられた。デンソーでは良好な意思の疎通が会社の根幹であることを認識しており、今日に至るまでそれが揺らぐことはなかった。

1998年(富士通テンタイランド(後にデンソーテンタイランドに改称)の設立)
富士通テン・バンコクオフィス
富士通テン・バンコクオフィス
富士通テン・ラヨーン工場
富士通テン・ラヨーン工場
富士通テンの工場所在地/港と空港
富士通テンの工場所在地/港と空港

富士通テンタイランドは1998年8月11日に設立され、サムットプラーカーン県のバーンプー工業団地にオフィスを構えた。2000年、富士通テンタイランドは製品試作および生産ラインを始動させた。2002年にはタイ東部のラヨーン県に工場を設立し、トヨタのIMVプロジェクトとASEAN地域における自動車産業の成長を支えている。富士通テンタイランドの主力製品はカーオーディオビジュアル機器と電子制御装置であった。
2017年10月2日にはデンソーが富士通テンの主要株主となり、資本構成が富士通55%、トヨタ35%、デンソー10%から、デンソー51%、トヨタ35%、富士通14%へと変わった。この買収により、デンソーは自動車事業における経験と専門性を活かして富士通グループの事業にも貢献できる。2019年、富士通テンタイランドはデンソーテンタイランドに改称された。2020年、デンソー・グループ内の連携とコミュニケーションの効率化を図るために、デンソーテンタイランドは本社をサムットプラーカーン県のバーンボーに移転した。

1999年(WAFCATの設立)

1999年、デンソーは認定特定非営利活動法人 アジア車いす交流センター・タイランド(WAFCAT)を設立した。

車椅子の寄贈
車椅子の寄贈
車椅子の修理
車椅子の修理

WAFCATは、障がいを抱えた子どもたちが自立して移動できるように車椅子を提供する慈善団体である。運動障害がいのある人たちのための教育の促進や環境の改善・整備、ボランティアへの参加の奨励、障がいを抱える人たちに関する社会意識の向上にも取り組んでいる。人を思いやり尊重するデンソーの企業文化は障がいを抱える人たちに対しても発揮され、デンソーならではの社会貢献活動へとつながっている。WAFCATでは障がいを抱える人たちに継続的に車椅子を寄贈するだけでなく、デンソーのボランティアの協力の下、遠隔地を巡回して車椅子を修理するチームも立ち上げている。デンソーの社員や外部ネットワークの力強い協力があってこそ、デンソーは障がいを抱える人たちが自由に移動して日常的な活動を行うためのサポートを提供できる。

2000年(トヨタ革新的多目的車プロジェクト構想)

トヨタは2000年、タイ国内で組み付けと販売を行う車両を国際基準へとアップグレードする「IMV)プロジェクト」を立ち上げた。タイ、インドネシア、フィリピン、マレーシア、ベトナム、インド、南アフリカ、アルゼンチンが、国内外で販売するIMVの生産拠点となる。
1997年のアジア通貨危機の後、政府が景気回復支援プログラムのための資金として国際通貨基金(IMF)からの借入を余儀なくされたことで、タイの財政状況は悪化した。タイ政府は工業省を中心に産業界や関係機関と協議して、タイの製造業の切り札として軽ピックアップトラックを選んだ。このプロジェクトはBOIと財務省の支援を得て生産、国内販売、輸出を促進し、外貨の取り込みを図ることになる。2000年2月15日、財務省は軽ピックアップトラックの物品税率を3%に、その他のタイプのピックアップトラックの物品税率を18%に見直した。この改革と政府の投資促進政策を受け、タイ農村部の厳しい環境に合わせて作られたピックアップトラックがさらに一般に普及することになった。
トヨタのIMVプロジェクト、政府の販売推進政策、そしてAFTA協定に基づく特恵関税率により、デンソーはASEAN市場の重要性を認識することになる。こうして自動車メーカーと市場を支援するための、タイとASEAN地域への大規模な投資の決断が後押しされたのである。

2002年(IMVプロジェクトを支える新たな投資の波)

デンソーはトヨタのIMVプロジェクトやASEAN地域の市場成長を支援するために、2002年に企業や工場を数多く設立した。

会社設立の式典
会社設立の式典
会社建設の様子
会社建設の様子
SDM
SDM
会社設立の式典
会社設立の式典
工場見学
工場見学

サイアム・デンソー・マニュファクチュアリング(SDM)は、世界50カ国に輸出するコモンレール式高圧燃料噴射装置を生産する会社として、2002年2月8日に設立された。サイアム・デンソー・マニュファクチュアリングは、デンソー・グループで3番目のコモンレール生産拠点であり、タイでは初となるコモンレールメーカーである。この設立は大きな挑戦であった。生産を目指すコモンレールシステムには、タイのほかのデンソー工場では実現していなかったミクロン(1/1,000 mm)単位の極めて高い加工精度が求められるためだ。 作業員の強い決意に後押しされ、これまで誰も作ったことのない高い精度の部品をタイの顧客のために高品質で生産できることをSDMは証明した。その成長を支えるために、サイアム・デンソー・マニュファクチュアリングは2006年に工場を3万4,000 m2から4万3,000 m2に拡張し、2013年には改めて6万2,000 m2に、そして2022年には8万5,500 m2へと拡張した。

ADTH
ADTH

アンデンタイランドは、自動車と二輪車用のリレーやフラッシャ、ドアロック制御キットなどを製造するために2002年8月26日に設立された。アンデンタイランドが設立される前には、デンソー・タイランドが管理するバンパコン工場が二輪車用フラッシャの製造を担っていた。設立後、アンデンタイランドは自社工場の建設に着手した。同社はバンパコン工場のB棟エリアをリースして生産・オフィススペースへと改装し、その後拡張して現在の工場へと変えた。初年度、デンソー・タイランドの担当者による研修を受けていたアンデンタイランドの生産労働者はわずか12人だった。デンソー・タイランドの協力により、デンソー・タイランドからアンデンタイランドへの製品の移管が円滑に行われた。現代の自動車産業における役割と主力となる製品を反映させるために、アンデンタイランドは2020年10月26日に社名をデンソーエレクトロニクスタイランドに変更した。

デンソー・インターナショナル・タイランド
デンソー・インターナショナル・タイランド

2002年12月25日には、自動車部品のタイ市場での流通を担うデンソー・インターナショナル・タイランドが設立された。同社は当初、自動車部品の国内販売とマーケティングのほか、タイ全土の150を超えるサービスセンターを通して市販製品の販売とサービスを行っていた。しかし会社の役割は徐々に進化した。2008年4月1日には社名をデンソー・セールス・タイランドへと変更し、現在の中核機能である販売活動と、組み付け工場、ディーラー、デンソー・タイランド工場間の連携に密接に携わるようになった。この再編を通じてデンソー・タイランドの事業成長と歩調を合わせた同社は、デンソーと顧客の間のコミュニケーションのさらなる促進を担うこととなった。

その後の数年間も投資は続き、サイアム・デンソー・マニュファクチュアリング設立の1年後となる2003年4月4日にはサイアム・キョウサン・デンソー・タイランドが操業開始し、自動車部品、フューエルポンプモジュール、ディーゼル燃料フィルターを生産した。場所はサイアム・デンソー・マニュファクチュアリングと同じ工場エリア内であった。その後、生産量の増加に対応するために、2004年にはチャチューンサオ県ウェルグロー工業団地にデンソー・タイランドの第3工場が設立された。この工場では主にコンデンサー、ラジエーター、インタクーラ、チューブ、ホースを製造し、自動車用空調制御装置の生産を支えた。

2005年(デンソー・トレーニングアカデミー・タイランドの設立)
DTAT
DTAT

デンソー社員の技能強化を支援して事業成長を後押しするために、デンソー・トレーニングアカデミー・タイランド(DTAT)が設立された。これは社員を大切な資産と考えて重点的に投資する、デンソーの企業文化を本格的に具現化したものである。このセンターではデンソー社員の研修のほか、タイ国内メーカーの能力を引き上げるためのデンソーサプライヤー向けスキルアップ研修コースも実施されている。正式なオープニングセレモニーは2005年11月23日に行われた。

トレーニング・コース
トレーニング・コース
技能五輪国際大会
技能五輪国際大会

DTATはデンソーの日本国外における3番目の研修センターである。これらのセンターの重要な使命は社員の能力を磨くことであり、このDTATの取り組みの成功は、2007年に社員が技能五輪国際大会のCNC旋盤部門で初めて銀メダルを獲得したことで実証された。その後も、2009年に同部門で金メダル、2011年と2013年にはさらに二つの金メダルを獲得している。世界一を目指して高い目標に挑戦する姿勢はデンソーの伝統的な企業文化であり、タイの若手社員はこれを見事に体現したのだ。DTATは当初日本のデンソーから研修支援を受けて、技能五輪国際大会に向けた社員研修を行っていた。この高度に熟練した社員たちが、今や次世代に知識を伝えるトレーナーとなっている。

2007年(デンソー・インターナショナル・アジアの設立)
風洞実験室オープニングセレモニー
風洞実験室オープニングセレモニー

デンソーのアジア・オセアニア支社として2007年2月23日にデンソー・インターナショナル・アジアが設立された。その主な任務は経営管理と研究開発である。その影響力が実証されたのは、アジア・オセアニア初の風洞実験室の公式オープニングセレモニーが開催された2013年3月13日のことだった。セレモニーの司会を務めたのは、工業省の副次官アッチャカー・シーブンルアン(Atchaka Sibunruang)博士であった。この風洞は、様々な気象環境で自動車部品をテストするためにデンソーが建設したものであり、世界各国への輸出を担う自動車生産拠点としての東南アジアの成長を反映するものだ。デンソー・インターナショナル・アジアの設立も、ASEAN地域における自動車部品および自動車産業の成長と、同地域に対するデンソーの注力の両方を反映したものである。加えて研究開発センターは、デンソーがアジア市場の独自性に対応できる人財を育成するとともに、顧客のニーズをサポートするための場となっている。若く優秀な技術者とともにアジア地域で研究開発活動を運営・主導することは、タイにとって大きな挑戦であった。

2007年エコカー政策とファーストカー政策の開始

都市化、そして国内およびASEAN地域全体での乗用車需要の増加に対応するために、タイ政府は2007年にエコカーIプログラムを実施し、ピックアップトラックに次ぐ製造業の第2の切り札として、環境に優しい小型自動車の製造を促進した。参加するカーメーカーには25%から17%への物品税引き下げが認められるなど、様々なインセンティブが提供された。このプログラムでエコカーと認められたのは、1,200 cc以下のガソリンエンジンまたは1,500 cc以下のディーゼルエンジンを搭載し、100 km当たりの燃料消費量が5リットル以下、CO2排出量が120 g/km以下の、UNECE(国連欧州経済委員会)の基準を満たす自動車である。メーカーには、操業開始から5年目までに少なくとも10万台を生産することが求められた。

原油価格高騰
原油価格高騰

低燃費の小型自動車は、主に世界的なエネルギー危機により2007年から2008年にかけて人気を博した。2007年後半には原油価格が1バレル当たり118米ドル、2008年半ばには1バレル当たり165米ドルまで上昇したのだ。特にバンコクのような大都市では、原油高を受けて消費者が小型車へとシフトした。2011年、タイ政府は国内で生産を行った自動車の販売を促進するためにファーストカー制度を導入した。この制度により、初めて車を購入した人は、1,500 cc以下のエンジンを搭載した新車を購入すると、購入後1年以内に最大10万バーツという大きな税金還付を受けることができた。このファーストカー制度によって小型乗用車の生産と販売が大きく押し上げられ、2012年には過去最高の200万台が生産された。ファーストカー制度によって自動車販売が急増し、カーメーカーに供給する部品の需要も高まった。デンソーは需要が一時的なものに過ぎないことを見越して、生産ラインを新たに拡張しないことを決定した。それでも、デンソーが納期通りに顧客に商品を納入できるようになるまで、作業員の理解と協力を得て追加のシフト勤務体制を実施することができた。エコカーIプログラムの成功を受けて、タイ政府は2013年にエコカーIIプログラムを実施し、エネルギー効率の要件がさらに厳格な小型自動車の製造を促進した。この制度はその後、2016年のCO2排出量に基づく物品税の改革へとつながった。

2011年(タイの大洪水)

2010年末までにはASEANの6カ国、タイ、マレーシア、インドネシア、フィリピン、シンガポール、ブルネイが関税率をゼロにして貿易障壁を事実上取り除いていた。2002年に締結されたASEANとオーストラリアの協力協定では、自動車と自動車部品の関税が引き下げられ、デンソー・グループも参加するアジアとオセアニアを網羅するサプライチェーンが構築された。

アユタヤの大洪水
アユタヤの大洪水
仕入先の洪水被害
仕入先の洪水被害
自動車組み立て工場の被害
自動車組み立て工場の被害

しかし2011年、タイでは4月から10月まで長いモンスーン期が続き、北部で鉄砲水が発生して中部の平野へと流れ込んだ。その結果、アユタヤとバンコクの一部が浸水した。洪水が工場やオフィスに到達することはなかったものの、デンソー・タイランドは特別チームを設置して洪水を監視し、洪水の状況に対応するためのリスク管理計画を策定した。さらに特別チームは洪水監視チーム(Genba、ゲンバ)を派遣して洪水発生地域の水位を調べ、リスクを評価してその軽減を図った。そして経営陣への報告を随時行った。同時に社員は、防水壁を作るために会社が土のうを準備するのを手伝うなど、連携して洪水に対する防御に協力した。 洪水は不運にもアユタヤ、パトゥムターニー、そしてバンコクの一部にある多くのクライアントとサプライヤーの工場へと到達し、その結果自動車部品の不足が発生した。

特別チームの設置
特別チームの設置
DNJP現地視察
DNJP現地視察
社員による洪水対策
社員による洪水対策
洪水モニタリング
洪水モニタリング

デンソーは、サプライヤーが受けた影響によって生産ラインが停止する可能性が高いことを認識し、機械の移動支援や一部自動車部品の生産支援など、影響を受けたサプライヤーを支援するチームを立ち上げた。さらに、浸水によって部品の生産と供給を行えなくなるサプライヤーも存在した。支援に乗り出したデンソーは、顧客やそのサプライヤーと協力してこの事態に対処した。デンソーチーム、顧客とそのサプライヤーの力強いサポートと協力により、デンソーは顧客のサプライヤーに代わって部品を生産し、生産量の不足を防ぐことができた。デンソーの迅速かつ地域に根差したサポート活動は、顧客からも高く評価された。これは、「家族」の視点で自分たちのビジネスのためだけでなく業界全体のために支援活動に従事した、デンソー社員たちの努力の成果であった。

2012年(エアシステムズ・タイランドの設立)

エアシステムズ・タイランド(ASTH)は、エアコン用コネクタのサブアセンブリやエアコン用チューブ、ホースなど、自動車用空調制御装置の主要構成部品を製造するために、2012年4月24日に設立された。政府のエコカープログラムとファーストカー制度に対応したこれらの活動が、デンソーの事業の拡大を後押しすることになった。

ASTHピントン工場
ASTHピントン工場

エアシステムズ・タイランドが設立される以前は、ウェルグロー工場がエアコン用製品の製造を担当していた。2012年4月から8月にかけて、エアシステムズ・タイランドは自社工場の設立と新工場への生産移管の準備のために、ウェルグロー工場の2階にオフィスを借りた。9月、エアシステムズ・タイランドはチョンブリー県ピントン工業団地3の新工場で一部生産を開始した。洪水のリスクを減らすために高原に置かれたリース工場であった。

ASTHアマタ工場
ASTHアマタ工場

エアシステムズ・タイランドはその後、事業成長に対応するとともに輸送効率を改善するために、このリース工場からチョンブリー県アマタ工業団地の新設の工場へと移転した。2018年12月には生産ラインの一部がピントン工場からアマタ工場に移り、最終的には2019年6月までにすべての生産ラインとオフィスが移転した。

2013年(デンソー・カンボジア設立)
オープニングセレモニー
オープニングセレモニー

2015年に発足するASEAN経済共同体や、タイにおける最低賃金の上昇に対応するために、2013年3月13日にデンソー・カンボジアが設立された。カンボジア法人の設立により、デンソーはさらに競争の激しい環境の中で成長し、他社に対抗することが可能になった。デンソー・カンボジアは、センサー(マグネット)やディーゼルフィルターのレベルスイッチ、ウォッシャーホースなどの自動車部品を生産するために、ジーエスエレテック社から3,800 m2の工場を借りた。工場の設立と生産を支援したのはデンソー・タイランドであり、管理機能を支援したのはデンソー・インターナショナル・アジアであった。
2016年2月8日、デンソー・カンボジアは新工場に生産ラインを移転し、マグネトーとSUSオイルクーラの生産を開始した。現在のデンソー・カンボジアは、マグネトーの部品と主要構成部品、インタクーラ用のチューブ/インナーフィンを製造できる熟練した労働力を育てている。デンソー・タイランドはデンソー・カンボジアの良き助言者として、その発展に重要な役割を果たした。そして今度はデンソー・カンボジアが、ますます競争が激しくなる現在の自動車産業でデンソー・タイランドが生き残るための競争力向上と新たな投資準備に向けた支援を行っている。