欧州地域の物語
第2章 市場の動きから学んだこと

1950年代から1960年代にかけての日本経済は高度成長期の真っただ中にあった。池田首相の指揮の下で貿易自由化政策が推し進められ、デンソーなど多くの日本企業が海外進出を目指していた。1966年には、デンソーの海外進出の土台となる新たな開放市場体制の概要が作成された。デンソーは、自動車業界で世界的なプレーヤーになるためには、ヨーロッパで足掛かりを得る必要があると考えていた。これは4年後にドイツのシュトゥットガルトに駐在員事務所が設置されることで実現する。この地が選定されたのは、関係が深いボッシュ社に近いという理由であった。
このヨーロッパへの進出と時を同じくして、重要な法律がアメリカ合衆国で制定された。マスキー法(大気浄化法改正法)と呼ばれるこの法律により、アメリカ市場で自動車を販売しようとするカーメーカーはマスキー法のエアポンプ装着に関する要件を満たす必要があると定められた。デンソーのエアポンプ分野での実力を考えると、これはアメリカにおいて存在感を確立する大きなチャンスであった。結果として1973年のポルシェ社を皮切りに、1980年にはメルセデス・ベンツ社が続くなど、数々のヨーロッパの大手カーメーカーとの大型契約が成立した。


デンソー・インターナショナル・ヨーロッパの前身となる拠点が設立されたのは、1973年であった。その拠点はオランダに位置し、現在も地域本社が置かれている。欧州への進出は、世界的な存在感の向上にいっそう注力していた欧州の大手OEMの一部に、さらに食い込むための手段であると考えられていた。