5. デンソーの最初の主役 - ロサンゼルスでの DPAM の立ち上げ

デンソーが初の主役に – ロサンゼルスでDPAMを立ち上げ
デトロイトが1960年代における自動車産業の心臓部だったのに対して、南カリフォルニアは米国の自動車文化の中心地だった。ロサンゼルスのガレージや裏庭、広い大通りでは、自動車愛好家たちがフォードやシボレー、クライスラーを「改造」し、ホットロッドやローライダーで街中を流していた。
カリフォルニアの住民たちはいつでも新しいものが好きなようで、米国市場向けに特別に設計されたトヨタ「カローラ」が発売された時、彼らもまたこの外国製のクルマを早々に購入した。そしてこのクルマは、この地において特に人気だった。
この時、デンソーが米国進出戦略を実行する機が熟した。まずエアコンのアフターマーケット販売を推進し、次に自動車メーカーにデンソーの主要コンポーネントを供給し、その後、現地生産力を確立するのだ。
米国における第一歩
デンソーの事業拡大の最初の一歩は、1971年のデンソー・プロダクトアンドサービス・アメリカ(DPAM)の立ち上げだった。 社員がわずか12人だったカリフォルニア州ホーソーンのDPAMは、今や約450人の自信溢れるデンソー社員を抱える市販とモビリティソリューションの大手へと成長することになる。
「この動きが北米での目覚ましい成長のはじまりでした」と、1982年にDPAMに入社し、直近では同社の副社長を務めたフラン・ラブン(Fran Labun)は言う。「そしてデンソーがトヨタ以外の自動車メーカーへの供給を開始すると、私たちも業界から注目され、一目置かれるようになりました」
DPAMは当初、日本で製造された自動車用エアコン(AC)のアフターマーケット販売に注力していた。需要の増加に伴ってDPAMはACキットを追加で提供するようになり、点火プラグとチューンナップキットを皮切りに多様な補修部品の供給計画を立て始めた。

一連のブランド
1983年、デンソーの自動車アフターマーケット事業の拡大に伴い、DPAMはカリフォルニア州ロングビーチの現在の拠点へと移転した。約10エーカーにわたって広がる同社は、エンジニアリングと製造の能力を拡大しながら、さまざまな高品質ブランドの立ち上げに着手する準備が整っていた。



1982年に最初に登場したのは、「MovinCool®」だった。ポータブル冷却業界の先駆者であるデンソーは、もともと日本の生産作業員向けに「MovinCool」を開発していた。次にDPAMは1999年に「DENSO Robotics」で同社のモノづくりのイノベーションとノウハウを活用した。エレクトロニクス、製薬、バイオメディカル機器、航空宇宙産業などの顧客が注目し、すぐにこうした「スマート」機器を設備に導入した。
DPAMは2001年、常に高品質な部品を修理事業者に提供することを目標に、「First Time Fit®」ブランドを立ち上げた。高い信頼性と、少なくともOE仕様を約束する「First Time Fit」製品は、重要でありながらもまだ満たされていない市場ニーズに応えるものだった。
その後DPAMは2009年にDENSO ADCのブランド名で、デンソーが開発したQRコードテクノロジーの製品、スキャナ、端末、ソフトウェアを、ほぼすべての業界の多様な顧客に提供した。
DPAMは最近ではデンソーのヘビーデューティ製品ラインナップを補完するために「PowerEdge」ブランドを立ち上げた。価格競争力があり、デンソーの品質、信頼性、性能を備えた「PowerEdge」は、クラス最高の販売およびサービスサポートが特徴である。
デンソー・ビジョン
経営陣はデンソー・ビジョンの下、20世紀半ばの国際自動車市場における三つのトレンド(小型車の魅力の高まり、エアコン付きのクルマに対する需要の増加、車両オプションカテゴリーの一貫した成長)を追っていた。そして適切なタイミングが訪れたその瞬間、デンソーは機を逃すことなく三つの発展すべてを生かした。
最初のチームを米国に派遣することを決断し、北米の地へと踏み出したデンソーの第一歩は、そのグローバルビジネスの志に乗って広がり、現在ではデンソーの歴史の重要な節目となっている。