1. 助けを求める声に応える

やる気になれば、成し遂げられないことなど何もない。
デンソー・マニュファクチュアリング・テネシー(DMTN)社の生産部門リーダーであるボビー・リマー(Bobby Rimmer)は、この姿勢が2010年12月23日のメアリービル工場に良い結果をもたらしたと語る。この時の彼とデンソー社員たちは、クリスマス、そして待望の年末年始の休暇を前に、最終シフトまでの秒読み段階に入っていた。

「第2シフトのチームリーダーが自宅に電話をかけてきて、PC 3000トンプレス機の巨大なコネクティングロッド2本が折れたといいました」と、リマーは語る。それは102棟にある複数のプレス機のうちの1台で、「この一帯で最大のプレス機であり、唯一無二のもの」だった。
「これほど大きな機械用の予備部品はなく、代わりになる予備のプレス機もありませんでした」と、彼はいう。
このプレス機はオルタネーターの中に入るポールコアを作るために使われていた。機械の各側面には大きなコネクティングロッドが付いていて、それでプレスを上下に動かすのだ。「非常に大きな2つのコンポーネントです。この巨大な鋼鉄の部品の重さは、それぞれ1トンを超えていたと思います」と、リマーはいう。
「日本はプレス機にある程度の余裕がありましたが、私たちはこの2つの部品を修理するしかありませんでした。そのため、応急処置を考え出さねばならないプレッシャーがありました」と、彼は説明する。
休暇シーズンにもかかわらず、社外の機械工場がデンソーの工場と協力して一時的な修理を行うことを受け入れてくれた。「折れてギザギザになったコネクティングロッドのそれぞれの端を切断しました。それぞれの端に合うように鋼板を製造しました」と、リマーはいう。
退職した工程設計者のリック・ボスト(Rick Bost)は、応急修理はうまくいったが低速の生産にしか使用できなかったと回想する。新しいコンポーネントが製造できるようになるまで、3カ月から4カ月はかかる見込みだった。生産の再開に「総力を結集」すべき時だった。
デンソーは「クリスマスの翌日に全社員に電話をかけました。お客様に迷惑をかけないように、休暇中もずっと働きました。そして生産の損失を埋め合わせるためには、デンソー本社のサポートが必要でした」と、リマーはいう。
「ダウンタイム中に在庫を確認したところ、思い出せる限りでは、お客様に影響が出ることは決してありませんでした。応急修理することを思い付かなければ、お客様の操業を停止させてしまうことになっていたでしょう」と、彼はいう。
その後、ロッドの故障はプレス機の製造中に発生したらしいことが分かったと、リマーは語る。鋳造工場でロッドの金属を流し込んで鍛造している最中に、気泡が発生したのだ。やがて各ロッド内部の空洞が内部から亀裂を生じさせた。
デンソーの社員が速やかに難題に対処してくれたことに心から感謝していると、リマーは語る。
「協力とチームワークのデンソースピリットが大いに示されたと思います」と、彼はいう。「休暇中に休みを犠牲にしてくれた全員を、心から誇りに思いました。全員の力が必要でした。技術者、機械工場の人たち、保全、生産管理、非常に多くの人々が本当に全員で力を合わせました。それがデンソーWAYなのです」