第6章 課題への対応

6. デンソースピリットの協力の模範

当初、感染拡大を防ぐためにソーシャルディスタンスと透明な仕切りが導入された。ここでは、デンソー・マニュファクチャリング・テネシーのアソシエイトたちがガイドラインを実践している。
当初、感染拡大を防ぐためにソーシャルディスタンスと透明な仕切りが導入された。ここでは、デンソー・マニュファクチャリング・テネシーのアソシエイトたちがガイドラインを実践している。

デンソー・マニュファクチュアリング・ミシガン(DMMI)社の米国初の工場があるミシガン州バトルクリークは、北米のサーマル事業をリードする生産拠点である。ナタリー・スコット(Natalie Scott)はDMMIのコミュニケーション担当課長として、社内連絡全般に責任を負っている。2020年1月、新型コロナウイルス感染症が世界中に広がり始めたことを受け、迅速対応グループの一員である彼女は海外と国内の動向を見守っていた。

ミシガン州サウスフィールドにあるデンソーの北米地域統括拠点では、コーポレートサービス担当副社長のロバート・タウンゼンド(Robert Townsend)が、中国の武漢を越えて世界各地に広がりつつあるウイルスについて、メディアがますます頻繁に報道し始めるのを見ていた。それは1月初旬だった。緊急対策チームの結成について話し合いを始めるべき時が来たことが、彼には分かった。

1月21日、米国で初めて新型コロナウイルス感染症の症例が確認された。デンソーの北米におけるゼネラルカウンセルであるジョン・キャンティ(Jon Canty)は、まもなく施行されるかもしれない州からの要求や連邦指令の数々を、チームがいかに処理するか見極め始めた。

地球規模の緊急事態

米国、ドイツ、日本、ベトナム、台湾で症例が確認され、世界保健機関は1月31日に世界的な公衆衛生上の緊急事態を宣言した。飛行機での移動が制限されつつあった。
2月、トランプ政権が公衆衛生上の緊急事態を宣言すると、デンソー・インターナショナル・アメリカ(DIAM)社のコミュニケーション担当グローバルマネジャーであるジュリー・カー(Julie Kerr)は会社に「揺さぶり」をかけ始めた。北米、ヨーロッパ、アジアでのデンソーの事業が新型コロナウイルスの脅威にさらされていたためだ。

北米の新型コロナウイルス感染症タスクフォースを率いることになる経営企画・財務、IT・監査担当上級副社長のスティーヴ・ミラム(Steve Milam)は、その時にはもうDIAMの人事チームを集めていた。迫り来る公衆衛生上の危機に関連して起こり得る、社員のさまざまな課題に備える計画の策定を開始するためだった。

北米の安全衛生環境担当副社長に任命されたばかりのデニス・カールソン(Denise Carlson)にとって、2020年3月半ばは、初めてサウスフィールドの早急な人員整理を迫られる週となった。さらにその少し後には感染が爆発的に拡大したために、北米の事業全体の閉鎖を迫られた。

備えの戦略

「H1N1(豚インフルエンザと呼ばれていた新型インフルエンザ)と『鳥インフルエンザ』の経験から、大まかな流れを把握していました」と、ジュリーはいう。「プロセスを確立し、対応チームに必要なメンバーを把握し、クライシスコミュニケーション計画と安全マニュアルを準備しました。最悪の事態に備えながら、最善を願っていました」

ウイルスが広がる間、北米は息を潜めていた。この数週間、デンソーは米国の顧客に従った。顧客が稼働すれば、デンソーも同じことをしようと努めるつもりだった。

「新型コロナウイルス感染症が出現するとは思っていませんでした」と、ボブは認めた。しかし実際にそうなると、まるでタイタニック号が氷山に衝突したかのようでした。1週間以内に、全員が船を下りる必要がありました。そのために昼夜を問わず働きました」

ミシガン州知事が3月23日に強制的なロックダウンを命じた時、DMMIはすでに定期的な会議と部門横断タスクフォースを設置していた。

「デンソーはほとんどの大手自動車メーカーのサプライヤーなので、お客様の意向について常にDIAMチームと連絡を取っていました」と、ナタリーはいう。「閉鎖の命令が出てしまえば、問題は社員の面倒を見る『かどうか』ではなく、『どのように』見るか、になりました」

その後、DMMIはバトルクリークの保健所、警察、地域社会のリーダーと連携して、新型コロナウイルス感染症対応のベストプラクティスに取り組んだ。

初期の混乱と懸念

何カ月にもわたるウイルスの追跡と、過去の疫病を受けて整えられた準備にもかかわらず、米国全土とカナダの各州におけるロックダウンの命令は、初期の混乱を引き起こした。

「政府の介入について議論はしていましたが、知事が州を閉鎖するとは予測していませんでした」と、スティーヴは振り返る。「知事がロックダウンを命じた時点で、当社の事業は広範に展開しつつあり、そして心配した通りに潜在的な影響が大きいことが分かりました」

米国におけるデンソーの生産は停止し、操業を続ける必要がある企業にとってたちまちフェイスマスクが必要不可欠となった。これを受けてデンソー本社はマスクの製造を開始し、世界各地のデンソー工場に出荷した。
「デンソーの拠点は本質的に自立しており、地域レベルで活動しています。これまでこれが役に立ってきました」と、新型コロナウイルス感染症タスクフォースの一員だったデニスは語る。「しかし今回の世界的な感染爆発に対しては、北米という観点から連携を行う必要がありました。皆が仲間だと全員が信じていたからこそ成功を収められたのだと、誇りを持っていえます」

ジョンはデンソーの広報チームと協力し、数々の規則を順守する最善策を見つけ出すために6つの州といくつかの郡の要件をチェックしたことを思い出す。

「州が出す命令や郡の最新情報を、いつも読んで確認していました」と、キャンティはいう。「ルールとその適用を理解する必要がありましたし、連邦政府やCDCの規制があることも覚えておかなくてはなりませんでした。すべてが緊急で、常に変化していて、強烈でした」
しかし危機に陥ったデンソーは、嵐を前にしても落ち着いていた。それは75年間の歴史の中で、文字通りいくつもの大きな困難を乗り越えてきたからだった。そして今、やるべきことに集中すると冷静にチームを集め、全員で仕事に取り掛かった。

優先順位は明確だった。デンソー社員の幸福を保証し、再開に向けた計画に着手して顧客のニーズに応え、新型コロナウイルス感染症の影響を緩和するための世界的な取り組みに貢献するのだ。

アソシエイトの日々のスクリーニング調査に加えて、COVID-19の拡散を防ぐために、北米の各拠点には体温センサーが設置された。
アソシエイトの日々のスクリーニング調査に加えて、COVID-19の拡散を防ぐために、北米の各拠点には体温センサーが設置された。
最優先事項

「最も重要だったのは、私たちが事業の物理的、金銭的側面よりも社員を大切にしていることを、彼らに知ってもらうことでした。しかし、いつでも再び製品を生産できるように社員の準備を整えておく必要もありました。そのため、チームの維持に必要なことはすべて行いました」と、ジュリーはいう。

「工場が稼働していなくても、いかにして社員に給与を支払い、お客様の注文を処理するかに取り組みました」と、スティーヴは付け加える。「社員が病気になったら、家にいて給与をもらえることにしました。一貫して、心配はいらないというメッセージを伝えました。安全第一に焦点を合わせました」

「社員の間には新型コロナウイルス感染症に関わる混乱と不安がありました」と、ナタリーはいう。「社員にとって、保健所や米国疾病予防管理センターからの公式かつ正確な情報の入手は会社が頼りです。新型コロナウイルス感染症に関する最新情報をDMMI社員に毎日提供しました」

2020年、デンソー・マニュファクチャリング・ミシガン(DMMI)は、COVID-19と戦う最前線の労働者を支援するために呼吸器を開発・製造した。その結果、チームはプラスチック技術者協会から自動車イノベーション賞を受賞した。
2020年、デンソー・マニュファクチャリング・ミシガン(DMMI)は、COVID-19と戦う最前線の労働者を支援するために呼吸器を開発・製造した。その結果、チームはプラスチック技術者協会から自動車イノベーション賞を受賞した。
生産の再始動

「2020年4月までには、仕事に戻るための新型コロナウイルス感染症ツールキットを開発していました。ソーシャルディスタンスを保つガイドラインを社員に理解してもらい、何十万枚ものフェイスマスクを確保し、物理的な仕切りを立てて、新型コロナウイルス感染症に関する知識を共有しました。すべてを導入して初めて、生産を再開しました」と、デニスは振り返る。

2020年4月、デンソー・マニュファクチャリング・テネシーで最初のフェイスシールドの箱がラインから出荷された。80,000枚以上のシールドが北米全域に配布され、COVID-19パンデミックの間、緊急対応者や医療従事者を保護した。
2020年4月、デンソー・マニュファクチャリング・テネシーで最初のフェイスシールドの箱がラインから出荷された。80,000枚以上のシールドが北米全域に配布され、COVID-19パンデミックの間、緊急対応者や医療従事者を保護した。

「必要不可欠な製造業務に関する州と連邦の規則に目を光らせ、規則を適用する最善策を見極めて、どのように製造を再開できるかについて議論していました」と、ジョンはいう。
「デンソーは北米で5週間操業を停止していました。少しずつ本格化させたので、完全に再開してすべてのお客様がフル生産に戻れるようになるまで数カ月かかりました。よく考えられた徹底したアプローチがミシガン州知事の目に留まり、業務再開モデルについての情報を求められました。お客様からは、当社のシームレスな操業開始と団結力についてコメントをいただきました」と、スティーヴはいう。

2020年、北米安全・健康・環境部門によってリスク排除ツールキットが作成・公開された。この38ページの文書には、リスク最小化のための5つの基本的な行動が説明されており、COVID-19パンデミックの間におけるデンソーとアソシエイトの職場手順、プロトコル、および全体的な責任が詳細に記載されている。
2020年、北米安全・健康・環境部門によってリスク排除ツールキットが作成・公開された。この38ページの文書には、リスク最小化のための5つの基本的な行動が説明されており、COVID-19パンデミックの間におけるデンソーとアソシエイトの職場手順、プロトコル、および全体的な責任が詳細に記載されている。

「お客様は当社の工場の稼働を望んでいて、私たちも稼働させたいと考えていました。しかし常に最優先事項である社員の安全を確保するために、お客様と多くの議論を重ねました。合意に至った北米におけるアプローチは、強固な顧客関係を営業が活用し、それからすべての利害関係者のニーズのバランスを取る、というものでした。皆が運命共同体であることを、全員が理解していました」と、デニスはいう。

感染爆発の損害

「家族や大切な人たち、社員のことが心配でした」と、ジュリーはいう。「自分たちが生き残れるのか疑問でした。仲間として、会社として大丈夫なのかと。最悪だったのは、常に不安定な状態が続いたことです。終わりはあるのか。それはいつになるのか。何を失うことになるのか。自分たちの仕事に誇りを持っていますが、今までで一番消耗する体験でした」
「本当に綱渡りのような日々でした。娘が新型コロナウイルス感染症と戦っている間、私は病室から会議に参加し、活動を指揮していました。私生活と仕事をなんとか切り離し、あらゆる面から選択肢を検討した末に、デンソーにとって最善の決断を下したのです。しかし今日が何曜日なのか分からないこともありました」デニスはそう認める。

「社員たちが病気になり、回復しませんでした。北米のケン・イトウこと伊藤健一郎CEO兼社長からの手紙で彼らをたたえ、他の社員からのメッセージや花を送り届けて、家族を通じて支援を行いました。飾らず、親切で、礼儀正しくあるように心がけました」と、スティーヴはいう。
「大切な人たちが苦しんでいました。入院し、亡くなった人もいました」と、ナタリーは回想する。「仲間を失った時、悲しい話があった時には、外に出て泣いてから、戻って仕事に取り掛かりました」

私たちが覚えていること

「一緒に危機を乗り越えることで、チームの仲間との揺るぎない絆が生まれます。お互いを頼りましたし、彼ら一人一人を限りなく尊敬しています。この世界的な感染爆発を皆で乗り越える上で、デンソーの全員が役割を担っていました」と、ジュリーはいう。

「新型コロナウイルス感染症以来、チームは一層定期的に協力するようになりました」と、ジョンは語る。「あの最初の年は、仕事のことよりも健康や家族、新しい仕事の環境に慣れたかどうかの話題で、定期的に連絡していました。それが現在の週1回の定期連絡に進化しています。今ではチーム内やビジネスパートナーとのコミュニケーションが一層活発になり、とても建設的です」

「定期的な最新情報を届けるためすべての北米のチームを巡るのに2日かかりました。それは1年間、私たちのタスクフォースとサポート担当者が、信じられないほど長時間働いたことを意味します。この危機では、ほぼ自立した複数のデンソー事業の間に共通性が求められました。しかし指針としてデンソーの中核的な原理を手放さない限り、私たちは団結できました。期待を超えようと毎日積極的に、休みなく積み重ねた努力の量を、的確に、価値ある形で評価する方法を、私は今でも知りません」と、スティーヴはいう。

「新型コロナウイルス感染症は巨大で世界的でした。私たちはその終息を、大きな物語のクライマックスであるかのように見ています」と、ロバートはいう。「この物語のはじまりでは、デンソーは自らを発見し、生き残るためにポジションを変える必要がありました。しかも、ほぼ一晩で。しかし、私たちは75年前にそうやってスタートしました。デンソーは常に進化しようとしていました。新型コロナウイルス感染症によってこの周期が早められた中で、私たちは見直し、ポジションを変え、学びました。そして今、次の段階に向けた準備が本当の意味で整ったのです」