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2024.8.9
「人の根源」に迫る記事づくりを。
DRIVEN BASEから、新たなつながりを生むために
デンソーでのキャリアを、女子ソフトボール強化選手としてスタートした村里 麻紀。現在は広報渉外部にて、オウンドメディア「DRIVEN BASE(ドリブン ベース)」の記事企画・制作を担当しています。キャリアアップのため部署を異動し、ありのままの自分に向き合いながら進化を続けてきた村里が、DRIVEN BASEでかなえたい未来とは。
この記事の目次
苦を乗り越えてやり切った、ソフトボール人生
──ソフトボールを始めてから、デンソーに入社するまでの経緯を教えてください。
友人に誘われてソフトボールを始めたのは小学4年生。以来、デンソーで引退を迎えるまでは、ソフトボール中心の生活を送ってきました。高校・大学時代にはキャプテンとしての素質を買われ、チームを率いる役割も担いました。
もともとは大学で引退し教員をめざそうと思っていましたが、最後のインカレ(全日本大学女子ソフトボール選手権大会)の決勝で負けて悔いが残っていたことと、自分自身の知見を広げるためにも社会人の経験が必要だと考え、社会人でもソフトボールを続けることに決めたんです。
そんな中、デンソーからスカウトを受け入社。強化選手としてキャリアをスタートすることになりました。
──さまざまな企業がある中で、なぜデンソーを選んだのでしょうか?
デンソーの当時の監督が同じ大学のOGだったこともあり、毎年デンソーの強化合宿に参加させてもらっていました。
デンソーチームはとても雰囲気が良く、それぞれの個性が発揮されている印象で、このチームなら自分らしさを発揮できそうだと感じました。これまでクラブ活動の位置づけだったものが、強化スポーツチームに切り替わるタイミングでもあったので、自分がチームを強くしていくプロセスに貢献できそうだと思ったのも理由の一つでした。
──デンソーではソフトボールをどれくらい続けたのでしょうか?
計5年間の選手生活を送りました。
──何が引退を決めるきっかけになったのでしょうか。
そうですね。悔いなく、やり切ったからです。今、振り返ると、少し短い現役生活だったように感じますが、私にとっては濃厚な5年間でした。強化スポーツチームに切り替わったことにより、結果が求められる重圧感の中、精神が擦り切れるまで全力で挑み続ける日々。チームも私自身も、思うように結果を出すことができずにいました。
そのような中で、突然、母が他界。このことがきっかけで「もう限界かもしれない」と、引退時期について考えるようになりました。
しかし、ここでやめてしまったら、幼少期から続けてきたソフトボール人生に悔いが残ってしまう。そして、今まで支えてくれた家族や仲間、地元で応援してくれる恩師たちに申し訳ない。最後は、自分が納得いく形で現役を終えたい。そう考え、続けることを決意したんです。
私にとっての最後のシーズンでは、地元である北海道でも試合が開催され、偶然にも母のお墓がある市で試合が行われました。応援に駆けつけてくれた父や、今まで関わってくれた方々が見てくれている中で、公式戦で初めてのホームランを打った感動は今でも忘れません。もしかすると、母が力を貸してくれたのかもしれませんね。
新たなキャリアの始まりとターニングポイント。行動を起こし、自ら可能性を切り拓く
──ソフトボールを引退してからは、どのようなキャリアを歩んできたのでしょうか?
引退後は技術開発推進部で、主に設計図面の管理や関係部署の取りまとめなどの仕事を担当していました。これまでソフトボールしかやってこなかったので仕事の基礎もわからない状態から始まりましたが、上司や先輩たちの指導を受けながら、15年に及ぶ経験を積む中で、やりがいを感じながら仕事をさせてもらいました。
仕事に慣れる一方で、自分が主体的に何かを生み出すような新しい仕事にも挑戦したいと考えるようになっていきました。その思いを上司に伝えたところ、私の特性を理解した上で、新たな異動先の候補を提示してくれたんです。その中の一つである広報渉外部への異動が実現し、新たなキャリアを歩みだすことになりました。
また、ちょうど同時期の話になるのですが、「本当のリーダーシップとは何か」を学びたい気持ちも強くなっていました。ソフトボール時代はキャプテンとして自分なりのリーダーシップを貫いてきましたが、自己が強すぎて幾度となくつまずくことが多かったんです。時代の変化が激しい中、このままで本当にいいのかと悩み、受講したのが「リーダーシップ・シフト」というテーマの社外研修でした。
研修では、“自分らしさ”の解放、つまり“本当の自分を知ること”の重要性を学びました。そして、自分の影響力で周囲の方の「自分らしさ」も解放させることが大事だと。それまで目的の達成に向けて“力強く引っ張ること”がリーダーシップだと思っていた私にとって、まさに概念がシフトした経験でした。その年は、広報渉外部に異動し、自分自身が変容するなど、大きな変化の一年になりました。
──大きなターニングポイントがあったのですね。広報渉外部に異動後はどのような業務を担当したのでしょうか?
当時、コーポレートサイトのリニューアルプロジェクトがすでに始動しており、そこに途中から参画しました。私がこのプロジェクトに貢献するために何をするべきかを自発的に考え、リニューアル後の効果的なサイト運用など提案し、実行していきました。
その後、新たなオウンドメディア「DRIVEN BASE」の運用を開始。以来、変革に本気で取り組むデンソーの姿勢を、人を軸として伝える記事を制作しています。デンソーで働く一人ひとりが、自分の使命に気づき、それに突き動かされて行動を変えていく──そんなきっかけを、DRIVEN BASEを通じてつくりたいという想いで取り組んでいます。
人と人が深くつながるために重要だと思うこと
──記事を制作する上で、大切にしていることは何ですか?
私が大切にしていることは、人の根源に迫ること。たとえば、ある人が仕事のやりがいを語っているとき、“なぜそこにやりがいが生まれるのか”、“大切にしている価値観や想いは何か”など、深く掘り下げて核心に触れることを意識しています。表面的な事実や考えではなく、デンソー社員のリアルな感情や経験を赤裸々に伝えることで、はじめて共感や感動が生まれると考えています。
そしてそれをきっかけに、社内外で人と人とのつながりを広げていくことが目標です。デンソーには熱い志をもった社員が大勢います。そういう人たちが手を取り合うことで、一人では実現できないような新たな創造が生まれていくと信じています。
人と人が深くつながるために私が重要だと思うのは、「ありのままの自分」を見せること。だからこそDRIVEN BASEで人の根源に迫り、普段は見えないその人本来の姿を見せていきたいと考えています。
──大切なのは「ありのままの自分」なんですね。
はい。私自身も仕事をする中で内省を繰り返し、「ありのままの自分」と向き合い続けています。「ありのままの自分」で社会とどのように関わっていくかを考えることは、デンソーでの自身の存在意義を考えることにも通じていると感じます。
リーダーシップの概念が変わってからは、組織を下から支え、まだ知られていない社員の魅力や事業の価値を見えるようにすることが、私の存在意義だと考えるようになりました。
社員一人ひとりの熱量をつなげること。それが「DRIVEN BASE」での私の役割。
──今後、DRIVEN BASEでどんなことを実現したいですか。
みんなで積み重ねてきたDRIVEN BASEでの取り組みは、着実に実を結んでいると感じています。その一つが、DRIVEN BASEで取り上げてほしいという声をかけてもらう機会が増えてきたこと。そうした声を一つでも多く形にし、変革のムーブメントを広げていきたいと考えています。
ムーブメントの起点となるのは、やはり人の熱量だと思うんですね。だからこそ、デンソーで働く人の熱量がダイレクトに伝わる記事をこれからも誠実につくり続けていきたいと思っています。
デンソーと共創したい、こんな魅力的な人たちと働きたい。DRIVEN BASEを通じて、読者にそんな想いを抱いてもらい、ここに来れば何かワクワクすることが起こるという期待を感じさせるオウンドメディアにしていきたいと考えています。
──最後に、DRIVEN BASEの中で、ご自身は何を果たしたいですか
私がいつも恵まれていると感じるのは、強い信念を持った方や、本気で仕事と向き合っている方が周囲にたくさんいるということです。そうした方々と接することで、DRIVEN BASEをより良いメディアにしようというエネルギーが湧いてきます。
突出した技術力を持っていたり、画期的な研究成果を生み出していたり。取材を行うたびにデンソーの社員は謙虚でいながら熱量がすごく高いと感じます。社員のそうした魅力を、DRIVEN BASEで伝えていくことが私の役割だと思っています。
人と人をつなぎ、新たなつながりを生み出してデンソーが変革していくために、これからも熱量をもってDRIVEN BASEに取り組んでいきます。
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