第1章(1984~1998年) インド進出 ― すべての始まり

1. 過去は忘れても教訓は忘るべからず

(1) インドの経済政策と自由化以前のインドにおけるDNIN設立

インドの状況の紹介

インドにおける40年近い歴史の中でいくつもの賞を受賞し、最高の地位にまで登りつめたデンソー・インドだが、その道のりは決して平坦なものではなかった。しかし「あきらめなければ勝者になれる」と言われるように、デンソーのチームは試練の時も決して闘いをやめず、その場にとどまった。委託品を最初に納入した時も、インドで適切な製造部を見つける際に課題に直面した時も、デンソーは果敢に立ち向かった。組織として長年かけて作り上げたデンソーファミリーがいなければ、これは不可能だっただろう。山あり谷ありのデンソーの道のりを理解しようと思うなら、その第一歩から始めることが重要だ。さあ、シートベルトをしっかりと締めていただきたい。挑戦、革新、救済、ともにつかみ取った成功を巡る魅惑的な旅 ― デンソー・インドの物語へとご案内しよう。

デンソーファミリーの誕生とその遺産

1984年、デンソーは戦略的な海外進出計画の第2弾として、インドを含む世界の有望な主要市場をターゲットにして行動を開始した。この海外進出の結果、イギリスのコヴェントリー、ドイツ、アメリカのミシガン州バトルクリーク、そして最後にインドでの事業が開始された。

インドのウッタル・プラデーシュ州ゴータマ・ブッダ・ナガルのDNIN(デンソー・インド)の歴史はここから始まった。DNINが最も注力したのは、インドのカーメーカー向けに自動車用電子部品を生産することだった。インド市場への参入を確実に成功させるために、デンソーは現地企業であるシュリラム・ファイバーズ社(SRF)との連携を選んだ。

綿密に練られた戦略のもと、デンソーは先行してインド市場に参入していた日本の他の自動車メーカーの後を追った。SRFとの連携はその後確固たるパートナーシップとなり、インドやその他の地域におけるデンソーの成長と成功への道を切り開くこととなった。

1980年代におけるインドの状況の紹介
インドの経済政策と自由化以前のインドにおけるDNIN設立

インドのセクター別産業構造:主役は農業で49%、サービスは31%、その後が工業で20%

1980年代、この10年間にインドの変化が始まった。
1983年以前は後に「自由化以前のインド」と呼ばれる、社会主義が優勢な時代であった(FI(外国投資)が最大40%)。

1980年代の自動車政策とカーメーカーの動向
海外メーカーの参入

1980年代にはインド政府がインド自動車政策を発表し、多くの企業がこのチャンスを生かした。

インド政府は日本と提携して国内自動車産業を育成する戦略を採択し、マルチ・ウドヨグ社がスズキとのJV(合弁)となった。(複数の四輪および二輪メーカーがインドのメーカーと合弁を行った)

1983年にマルチ(スズキ)社操業開始。トヨタ自動車がインド市場に参入。

インドにおけるデンソー事業の開始:

デンソーがインドで事業を開始したのは約40年前。中産階級と若年人口の増加を背景に今後世界でも有数の規模と速度で成長を遂げるであろう、インド自動車市場の巨大な可能性を見越してのことだった。

1984年に第1工場を設立:SRFニッポンデンソー・インド

この基盤をもとにニッポンデンソー(現・デンソー)はSRFインドと提携し、インド初のデンソー企業を設立した。SRFニッポンデンソー・インドと名付けられたこの会社は、デンソーが49%の株式を保有するインドと日本の合弁会社として、スズキとインドの二輪メーカーに対応した。

バキュームポンプレギュレータの有無にかかわらずオルタネーター/ジェネレーターを製造するために設立されたこの会社は、インドの首都デリーに隣接するグレーターノイダ(ウッタル・プラデーシュ州)において工場の建設に着手した。

1985 - DNIN - 起工式
1985 - DNIN - 起工式
DNIN
DNIN

1985年、DNIN地鎮祭(Bhoomi Poojan)および第1期の社員26人を採用。工場の建設に着手。生産能力はオルタネータとスタータモーターが各15万台、ワイパモーターが10万台だった。

生誕の地の発見:ティルパッタとデンソーの遺産の物語

適切な土地を探すデンソーの発起人たちが1984年に出会ったのが、ウッタル・プラデーシュ州のティルパッタだった。ここは、インドの首都デリーに隣接する現在のグレーターノイダ地域に位置する、隠れた宝石のような土地だった。それほど知られていないこの村には、基本的な設備がなかったものの、将来の産業拠点となるための素地があった。トヨタ自動車、スズキ、ヤマハ、ホンダなどの既存の企業に近いことが決め手となって、デンソーはティルパッタを本拠地に定めた。デンソーの使命の根幹には当初から、徹底的なリサーチを通じたチャンスの発見があった。産業拠点と化したティルパッタの事例は、デンソーの広範な計画と実行力が発揮された典型と言えるだろう。

神聖なる第一歩:夢の幕開け

1985年5月1日の吉日に地鎮祭が行われ、新しい時代が幕を開けた。ソム・ミッタル(Som Mittal)氏とクリシャン・ヴィル(Krishan Vir)少将が指揮を執ったこの行事は、ティルパッタを産業の中心地に変身させようとがんばっている一人ひとりが、チームとしてその第一歩を踏み出す絶好の舞台となった。土台は完成した。インド屈指の偉大な自動車部品会社として遺産を築き上げる時が、いよいよやって来たのだ。インドの自動車産業を、かつてない高みに引き上げる時が来たのだ。