第1章(1984~1998年) インド進出 ― すべての始まり

1. 過去は忘れても教訓は忘るべからず

(2) DNINの確立、成功の決め手 ― 人材、イノベーション、献身的な取り組み

新たな章 ― 生産に火をつけた火花
最初の製品ロットと新製品の導入、労働争議と解決

1986年、デンソーにとって忘れられないこの夜、最初のプロジェクトが成し遂げられた。会社にとって決定的なこの記念すべき瞬間を、チームのメンバー全員が食い入るように見つめていた。

歴史に残る黄金の日

1986年2月20日、信じられないほど素晴らしい旅が始まった。SRFニッポンデンソー・インドが四輪車用電気部品(オルタネーター、スターターとワイパーモーター)の生産を開始し、正確に17個のケースに収められた100台のオルタネーターG3Aを、最初の委託分としてグルガオン工場で操業するマルチ・ウドヨグ社(日本スズキとの合弁会社)に納入したのだ。配送トラックに「初荷」と書かれた紙の旗が取り付けられた瞬間は、メンバー全員の心に残る思い出となった。

成功の決め手 ― 人材、イノベーション、献身的な取り組み

デンソー・インド(DNIN)の物語は、不屈の精神、情熱、粘り強さの物語である。それぞれが特別なものを作る夢を持って集まった集団の物語である。彼らは会社を築き上げてきただけでなく、時の試練に耐えうる遺産を生み出してきた。DNINの成功の物語は、人材、イノベーション、献身的な取り組みの力を証明している。この成功を生み出す決め手を、詳しく見てみよう。

ドリームチームの結成

1985年に第1期の社員が採用され、新たな才能と熱意が会社に注入された。将来性を買われて選ばれた一人ひとりが、インドと日本が力を合わせた前途輝かしい組織に加わりたいと熱望していた。何度かにわたる筆記試験と面接を経て、目を輝かせた合計26人の優秀な社員がDNINに採用された。

卓越を目指す鍛錬の場

新入社員はデンソーの機械を扱う上でのさまざまな課題に備えて、ファリーダーバードの産業訓練校(Industrial Training Institute:ITI)で特別な職業訓練を受けた。Resikiカードや5Sシステム(整理・整頓・清掃・清潔・躾)などの日本の概念を取り入れたことで、職場の効率性を高めるだけでなく、個人の生活を豊かにし、社員全体の幸福を育む研修となった。DNINはチームのリフレッシュのために、毎朝身体を動かす習慣も取り入れた。この習慣はインドではまだ普及しておらず、時代を大きく先取りしており、デンソーが社員を大切にする姿勢の表れであった。

忘れられない最初の1年

最初の委託品が納入された後、チームは誇りと責任感に満たされた。デンソーが「ダイナモ」に代わる「オルタネーター」を導入したのはこの時だった。これは四輪車向け発電機業界における歴史的革命だった。直流電流を発生させるダイナモは、よりエネルギー効率が高くパワフルな、オルタネーターと呼ばれる交流発電機に取って代わられた。

成功を喜び、称賛の言葉にあぐらをかくのは簡単だったが、さらなる高みに到達するためにこの成果をフル活用した方が良いと、チームは気づいた。最初の委託品の勢いを維持するだけでなく、加速させるチャンスだった。チームはすぐに不断の努力と並外れた献身の必要性を理解した。

初年度は3,000万ルピーの純売上高で終了したが、その後の道のりにはさまざまな障害が溢れていた。