第1章(1984~1998年) インド進出 ― すべての始まり

2. 初期の課題、改善、能力の向上

(2) 10年後の経営方針と会社の強化、「変化、挑戦、創造」のDNINアプローチで局面を打開

変化する時代に適応:逆境を乗り越える
1990年の嵐

CKDキットの絶え間ない輸入とインドルピーに対する円高が、大きな痛手となった。引き続き状況の打破に努めたものの、創業以来の累積損失が会社の持分株式資本に匹敵するまでになった。頭上には暗雲が漂っていた。

絶え間ない輸入と為替レートの変動により、財政的な困難と事業の継続性に関わる懸念が生じた。しかし黒い雲の合間から差し込む光があった。DNIN(デンソー・インド)のレジリエンスと顧客に対する献身である。最初の発起人であるニッポンデンソーが決定的な資金援助を行い、会社の存続を保証するとともに逆境における決断力を示した。

1990年、こうした問題を緩和するために、365日間で500の部品を現調化することを目指す「プロジェクト500」がスタートした。社員の福利厚生は引き続き優先事項とされ、特別な健康診断と改善された交通サービスが提供された。

プロジェクト500:大胆な現調化構想

DNINのチームは品質面で妥協することなく、材料と部品の現調化のために忍耐強く努力し、外的な力から会社を守った。ノイダに専用のオフィスが設立され、進展状況を監視するために部門を横断するチームが結成された。目標は明確であり、チームが目指すのは成功だけだった。

課題の克服
1992年、大きく悪化した財務状況 ― 巨額の累積損失
ヒトづくり、熟練、改善によって克服し顧客の信頼を勝ち取る

1994年、SRFニッポンデンソー・インドはニッポンデンソーの単独経営となり、ニッポンデンソー・インドに社名を変更した(SRF株式の移行)。

1994年には先を見越してルーカスTVS社と技術援助契約を締結し、最新の先端技術を獲得した。
1994年、会社として初の営業利益を達成するとともに、顧客のマルチ社から第1回品質改善賞(Quality Improvements Award)を授与された。

DNINは1996年までにすべての累積損失を解消し、株主に初めて配当金を支払った。自動車産業の成長を好機として生かすべく、設備の近代化、新製品ラインへの投資、事業の拡大が続けられた。

同年、ブランドと世界のデンソーファミリーの一貫性を確保するために、社名がデンソー・インド(DNIN)へと変更された。この時、営業とサービスの機能がデリーへと移転した。1997年には製品構成の増加に対応するために、工場の面積が4,800㎡拡大された。

自動車産業の成長と革新的な製品に対する需要の増加によって、新たな成長に向けた絶好の機会がもたらされたのだ。