第1章 創立 豊星産業と日本電装との縁 1948~1979

2. 日本電装との技術提携と部品の国産化

② 内需供給を越えて海外市場を開拓

1970年代に入ると、豊星電機は工作機械が525台、金属および加工機械182台、試験機と工器具1,243台の製造設備を備えた工場を有し、社員950人がともに働く屈指の企業へと成長した。

主要な電装品を生産し、現代自動車、亜細亜自動車、起亜自動車といった韓国の三大自動車メーカーに納入することにより、政府の国産化方針に積極的に対応してきた。これらの部品のうち、小型乗用車のヒーターは95%の高い国産化率を示し、ホーンは50%ほどであった。このように早い時期に高い技術力と生産性を備えることができたのは、全社員の一致団結と日本電装との合弁を活発に進めたためであった。

一方、豊星電機は、1971~1972年の韓国経済の停滞によって平均稼働率が60~70%にとどまり、深刻なダメージを受けたこともあった。しかし、1973年の日本の自動車生産の急増により、組み立て用部品とアフターサービス用部品の輸出が大きく伸びた。

また、日本電装と100万ドル規模、50対50で出資した合弁会社を通して、品質を向上させるとともに、特に東南アジアへの輸出市場を果敢に開拓して各種製品を輸出した。このように豊星電機は、日本電装との合弁による技術提携により、内需供給を越えた海外市場の開拓によって経営難を克服し、本格的な自動車部品メーカーとしての地位を確立した。そして、その後の韓国の電装品市場を先導する一流メーカーとして、新たなスタートを切った。