第2章 挑戦と試練 部品の国産化推進、通貨危機とデンソー持ち分の増資 1980~1999

1. 現地化生産および部品の国産化推進

② 豊星精密の成長と発展

豊星精密は、1976年に日本電装と50:50の出資によって合弁会社として設立された子会社で、自動車用計器類(クラスタ)を生産してきた。1980年からクラスタの量産を本格化させ、起亜自動車「ボンゴ」、1982年には現代自動車「ポニー2」と「ステラ」のクラスタを納入した。

1981 豊星精密 メーター生産ライン
1981 豊星精密 メーター生産ライン
1986 豊星精密、中堅輸出企業として選定
1986 豊星精密、中堅輸出企業として選定

1983年には大宇自動車「メプシーナ(MAEPSYNA)」と「ローヤルプリンス(ROYAL PRINCE)」、現代自動車「エクセル(EXCEL)」と「プレスト(PRESTO)」用のクラスタを本格的に量産し、車両用計器盤の生産累計50万台突破という記録を達成した。
1987年には目覚ましい経営成果を収めていながら、1984年の売上は50億ウォンに過ぎなかった。豊星精密は、わずか3年で200億ウォンの売上を達成するなど400%の売上成長を記録したのだった。

1990年、豊星精密はクラスタの生産が100万台を突破し、1992年には現代自動車から「第1級工場」として認められ、売上が急増し始めた。1987年から記録的に売上を伸ばしながらも、1991年は40億ウォンにとどまった売上額が、1992年の1年間で512億ウォンに急上昇するという記録を打ち立てることもあった。

技術レベルにおいても、グローバル市場で認められている日本製品に次ぐほどの好評を受けた。特に自社の技術力による設備の自動化により価格競争力を備え、1991年に技術研究所を設立し、それまでに蓄積された技術力をより一層向上させた。

技術研究所設立の背景は、1980年代後半の韓国の経済社会発展5カ年計画の5~7段階である「経済成長の持続と社会の発展を通した国民福祉の向上」を重視する時期に、国家施策に準ずる企業の社会的な役割が切実に求められ、これに適合した豊星精密が1988年に技術研究所の設立を推進した。日本電装の先進的な電装品の生産技術を吸収し、設計のノウハウを蓄積するための持続的な努力を傾けてきた豊星精密は、1991年のファン・ソンテ会長による日本電装への訪問の際に技術研究所の設立に伴う支援問題を協議し、1991年の下半期に技術研究所を設立した。以降、豊星精密は、研究開発部門の投資を売上額の3%から5%のレベルまで引き上げ、自動車部品の100%国産化を達成した。

1994年に入り、豊星精密は歴史に残る輝かしい成果を上げた。1990年、クラスタ生産100万台の達成から4年で、10倍を超えるクラスタ累積生産1,000万台の大記録を達成した。また、「税金部門大統領賞」を受賞する栄誉も与えられた。
特に日本電装の海外拠点で最初に「クラスタ用駆動5型ムーブメント」の国産化に成功した。クラスタの構造、作動原理などで韓国初のKS(KOREA STANDARD:KSR5058)認証を推進し、韓国で車両用計器盤の作動原理について規格化および標準化を進めた。また、科学技術処と協力して、国家開発奨励支援金によって当時最新型であった5型クラスタの内部機器類を開発し、韓国の自動車産業に技術面で貢献した。併せて、「ホールスピードセンサー」を開発し、1994年は豊星精密の歴史上、最も革新的な業績を積んだ一年となった。

1995年には韓国初の「LCD(Segタイプ)メーター」を、1998年には「SMマルチメーター」を開発した。「SMマルチメーター」は、高度、方位、気圧、車両の周囲環境を表示する環境表示計として、豊星精密が1976年の設立以来、過去22年間にデンソーとの合弁で習得した技術ノウハウが集約された最高の製品であると評価された。

1999年には本田技研工業(Honda)の車両に使われるGCHを日本への輸出用として最初に開発して輸出するなど、豊星精密は1990年代の韓国のクラスタ市場の65%を占める、この分野のトップ企業へと成長した。