第2章 挑戦と試練 部品の国産化推進、通貨危機とデンソー持ち分の増資 1980~1999

2. 韓国デンソー販売株式会社設立

① デンソー持ち分100%の韓国営業基盤

1997年11月25日、デンソー(1996年に日本電装から社名変更)は全額出資して持ち分100%でソウルに韓国デンソー販売株式会社を設立した。初代社長は竹下幹男で、4人の社員とともに業務を開始した。
韓国デンソー販売は、デンソーの韓国現地法人として、これまで豊星精密に委託していた販売支援業務を担当し、韓国の自動車会社に対する営業を開始した。

一方、1990年代末から2000年の序盤に韓国が通貨危機を克服すると、韓国の自動車業界に追い風が吹き始めた。自動車の生産で世界5位に入るほどに韓国の自動車産業が上昇の勢いに乗る中で、韓国の自動車部品市場は海外のメジャー企業らの激戦区となった。ドイツのボッシュ社とシーメンス社、アメリカのデルファイ社、ビステオン社、TRW社など、主要な世界的大企業らが先を争って韓国の自動車部品市場に部品を供給した。

韓国デンソー販売はこれらと激しい競争を繰り広げながら、豊田通商を通して日本から直輸入する形でインジェクションシステム、ポンプなどの各種自動車のエンジン関連部品やABSなどのブレーキシステム、ワイパー、ホーンなどを供給し、韓国市場での競争力を育てていった。

このように韓国デンソー販売の設立は、デンソーの子会社として、そして韓国でのグローバル営業と販売活動の前進基地としての役割を果たし、積極的な営業活動により韓国におけるデンソーの地位を向上させていったことにその意味がある。