第2章 挑戦と試練 部品の国産化推進、通貨危機とデンソー持ち分の増資 1980~1999

3. 通貨危機と豊星精密のデンソー持ち分の増資

① 通貨危機と豊星電機

1997年の初頭から、韓国に漂う経済危機への不安感は尋常なものではなかった。経済専門家の間で、タイなどの東南アジアの四つの工業国と韓国の経済状況が、過去の1994年に通貨危機を迎えたメキシコと似た動きをしているという意見とともに、韓国にも通貨危機が訪れる可能性が高いという主張が提起された。こうした主張は実際の通貨危機が発生するまで続いたが、政府の反応は鈍いものであった。

通貨危機に対する懸念がますます高まる中で、1997年の春、起亜グループは国際競争の激化と景気の低迷、系列会社の経営不振などの様々な危機があるとの噂に包まれ始めた。デマが飛び交う中、真夏に入った7月には結局、不渡り猶予協約の適用対象となった。

一方、1997年7月、豊星電機は公募株の申し込み募集を行う予定であったが、起亜グループの事態発生を受けて、株式公開を撤回した。そして、豊星電機は起亜自動車の操業が正常化し、売上金が順調に決済されるまで株式公開を保留することにした。当時、豊星電機の1996年の売上のうち、起亜自動車が占める比重は57.3%に達していた。起亜自動車が失敗すれば、豊星電機も大打撃から逃れられないことは明らかであった。

株式市場はますます最悪の低迷状況に陥り、1997年11月、韓国政府はIMFに救済金融を要請した。起亜自動車の状況が急速に回復する兆しが見えないため、豊星電機は12月29日、株式公開を撤回した。

起亜グループは、通貨危機の混乱の中で様々なシナリオが提示されていたが、結局、1998年10月の国際入札を通して1999年に現代自動車に売却された。自動車メーカーだけでなく、通貨危機により韓国財界の三十大グループ会社のうち11社の大企業が解体の痛みを経験し、三十大グループの8社が大企業群から脱落することとなった。豊星電機の状況もまた容易ではなかった。賃金の未払いまで起きるなど、業績の急激な悪化を招いた。