第1章 創立 豊星産業と日本電装との縁 1948~1979
2. 日本電装との技術提携と部品の国産化
① 日本電装との技術提携
1964年に電気通信機械製造業に業種を転換した豊星産業は、1968年1月、自動車部品だけでなく電話機、電力計などの電気通信製品を直接生産し始め、業種に合った社名によって企業のアイデンティティーを確実に構築するために「豊星電機株式会社」に社名を変更した。
新たな社名でスタートした豊星電機は、聖水洞の第1・2工場を拡張し、1969年に日本の自動車部品メーカーである「日本電装」と交流を持つようになり、電装品と計器類における技術提携の交渉を具体的に進めていった。当時、日本電装もまた韓国での組み立ておよび生産基盤を強化するために、韓国の自動車部品メーカーと接触していた。

1969年11月、日本電装と技術提携を結んだ豊星電機は、韓国初の自動車部品の国産化を開始した。
日本電装との協約を通して、豊星電機は海外資本150万ドルと国内資本3億ウォンを投じて1970年末までに自動車部品工場を完成させる。
また、新進自動車(大宇自動車と双竜自動車の前身)、現代自動車、亜細亜自動車(後に起亜自動車として合併)で生産する5,000台分の自動車用電装品を供給するという見通しとともに、1972年に東南アジアおよびアメリカ地域への輸出契約を結ぶという成果を上げた。併せて、1970年末からは自動車のヒーターとエアコン、発電機、スターター、配電器、コンビネーションモーター、ワイパー、レギュレーター、イグニッションコイル、ホーンなど10種類の自動車部品を生産するとして日本電装と協議した。