第1章 創立 豊星産業と日本電装との縁 1948~1979

3. 日本電装との合弁会社として豊星精密を設立

① 昌原国家産業団地の造成

1960年代に韓国の経済成長をリードしていた軽工業が限界に達し、1970年代に入ると新たな成長のモメンタムが必要になった。韓国の経済成長率は、それ以上に向上することなく停滞した。その上、1973年の第1次オイルショックで韓国の経済は大きな混乱と困難を経験することとなった。

1970年 昌原国家産業団地
1970年 昌原国家産業団地

このように国内外で経済が落ち込む状況で、政府は産業構造を軽工業中心から重化学工業中心に高度化するために、1973年に慶尚南道の昌原に昌原国家産業団地を建設するとして、その年の11月に第1団地を着工し、1974年4月には団地の当初の規模を総43,338,843㎡に確定するとともに本格的な建設を推進した。後に55,206,612㎡に拡張・造成され、総合機械工業団地として生まれ変わった。

豊星電機
豊星電機

豊星電機は、昌原国家産業団地の造成が進むにつれ、自動車部品工場などを建設するために入居申請を行い、1974年7月に入居許可を受けて1975年10月に工場を着工した。