1. 現地化生産および部品の国産化推進
① 豊星電機の成長と発展

1980年9月、豊星電機は、昌原国家産業団地に100万台規模の電装品を生産できる設備を設け、競争の激しい自動車部品市場で技術競争力を確保できる基盤を整えた。そして同年11月に電装事業部と冷暖房事業部を統合し、昌原工場に移転してラインを稼働させた。
1980年の昌原工場設立後は、トラック用エンジンの主な製品である始動電動機(R2.5 2.5kw スターター)と起亜自動車のNB1ボンゴ用発電機(交流発電機)を量産した。起亜自動車「ボンゴ」は、当時、乗用車の生産が不可能であった起亜自動車の事業の採算改善において革新的な役割を果たしたモデルである。
1983年にはソウル工場でドアロックアクチュエータの生産を開始し、1987年、1994年、1996年、1999年に次々と量産した。併せて、政府は1984年から主な自動車部品の20品目について技術指導を実施してきたが、その品質が外観、性能、安全度などで先進国の製品と対等なレベルに達したと判断される42のメーカーを等級工場に指定し、行政支援を大幅に強化していった。豊星電機は、1985年に品質管理1等級工場に指定され、名実ともに韓国最高の技術力を兼ね備えた自動車部品メーカーとして、国内外での地位を向上させた。
1986年には昌原工場で外装製品のモーター(ワイパーモーター、ウインドウモーター)、小型モーターの「ファンモーター101F」とブロワモーター「ブロワモーター70F」の量産を開始して事業の多角化を推進し、1989年まで大宇自動車「ローヤル」に使われるウインドウモーターを開発、生産した。
一方、1980年代に入り、乗用車用エアコンの国内需要は年々増加している状況であった。しかし、主要部品であるコンプレッサーは全量を輸入に依存しており、国産化が切実な問題であった。当時の豊星電機もまた日本電装から輸入して韓国の自動車市場に普及させていたが、サウジアラビア、クウェート、ヨルダンなどの中東地域の気候に合う製品の生産については輸出の展望も明るく、国産化が急務であった。
豊星電機は、冷暖房製品であるカーエアコン(プライド・クーラー)、バス用エアコン(バス・サブ・クーラー)およびトラック用暖房機(ヒーター)などの開発、生産を行った。特に1980年代の半ばまではトラックにはエアコンが装着されていなかったが、豊星電機は1986年に冷房能力が時間当たり3,200kcalと高く、自動運転と安全装置を備えたトラック用エアコン(15tトラックと重装備用エアコン)を開発して実用化した。また、1987年から乗用車のエアコン用サーモスタットの部品とバスのクーラー用サーモスタットを国産化し始め、1990年代には起亜自動車「プライド」のエアコン組み立て市場を席巻して独占供給した。
1990年、豊星電機はファン・ギュサム会長が辞任し、後任としてファン・ソンテ会長が就任しており、工業振興庁から品質管理1等級工場の指定を受けて、再び上を伸ばしていった。1991年には売上が1,000億ウォンを突破し、顧客からは豊星電機と豊星精密などの系列会社を合わせて「豊星グループ」という別名で呼ばれることもあった。
豊星電機は、中・大型オルタネータ(真空ポンプ一体型)、スターター、各種DCモーター類(ワイパーモーター、パワーウインドウモーターなど)の各種アクチュエータ(ドアロック)、乗用車エアコン製品、中・大型バスのクーラー、電力計などを起亜自動車、現代自動車、大宇自動車、双竜自動車などの韓国の完成車メーカーおよび韓国電力に納入し、1990年代には有数の中堅企業へと成長した。
1991年から豊星電機はDCモーターの生産ラインを完全自動化して年産200万台の生産能力を250万台に拡張し、1993年には日本電装との技術提携によって150億ウォンを投資して韓国初のガソリンエンジンの電子制御装置に使われる燃料ポンプ(フューエルポンプ)を開発して国産化に成功した。そして、これと同時に製造設備の自動化ラインを専用機チームによって内製し、100万台を生産して現代自動車、起亜自動車にOEM(直納)で供給した。燃料ポンプは燃料タンクから燃料を吸い上げて気化器に供給する装置で、これまで韓国の完成車メーカーはそのすべてを外国から輸入して使用してきた。豊星電機は燃料ポンプの国産化などをきっかけに、次第にエンジンの電子制御装置(ECU)分野における独自技術の開発体制を整えていった。

品質管理システム認証
このような研究開発を通して、品質管理および価格競争力の強化のための努力が実を結び、1993年には商工資源部から自動化推進部門の生産性大賞を受賞する成果を上げた。1994年には工業振興庁が選定する品質経営100選に選ばれた。韓国の2万以上の企業のうち、品質経営に優れ、消費者が満足する製品を生産またはサービスを提供した品質経営100選企業は1994年に初めて施行された制度である。当時厳格な審査の末に品質経営に優れた89社のみが選定された。また、1995年には電装品および電力計の全品目に対するISO9001認証、1996年には現代自動車と中小企業庁の100PPM品質認証を取得する快挙を成し遂げた。
豊星電機は、1996年基準の総資産が1,487億ウォン、売上額1,657億ウォンの中堅企業へと成長した。これまでの持続的な技術開発により、韓国の自動車メーカー5社のすべてと取引をして部品業界を先導し、健全な財務構造とキャッシュフローにより安定した成長段階に入ったとアナリストより評価を受けた。
技術力と財務健全性を土台に海外進出の準備を整え、1996年に当時100万ドル規模のプラントを中国に輸出し、起亜自動車とともにインドネシアへの進出を推進中であった。しかし、豊星電機が49年間で蓄積してきた企業の貴重な歴史は、1997年に突如として押し寄せた通貨危機の高波の前で崩壊の危機に直面した。重大な決断を下さなければならない状況に置かれることとなったのである。