第1章 創業の時代

3. ボッシュ社との提携

1949-

(2)提携交渉

1953年
好意ある支援者の仲介も得て、経営陣は提携実現に向けて迅速に行動した。1953年にロバート・ボッシュ社との技術提携が成立した。
ロバート・ボッシュ社との技術提携契約調印
ロバート・ボッシュ社との技術提携契約調印

1951年の秋、三島徳七博士が突然、当社の東京出張所を訪れた。

三島博士は、「MK磁石合金(マグネトー鋼)」の発明者として世界的に知られていた。そのパテントをロバート・ボッシュ社に供与していたが、トヨタ自動車工業の研究顧問をも務めていた。

三島博士は、次の言葉とともに当社の資料を求めた。
「今、ロバート・ボッシュ社の海外担当重役のツェヘンダー氏が、日本で技術提携先を探している。かねがね豊田喜一郎君から聞いていたことでもあるし、日本電装をロバート・ボッシュ社に紹介したい」

1952年12月、生産技術担当のグンデルト氏を中心とするボッシュ調査団が当社を訪れた。

当社の機械設備の充実ぶり、トヨタ自動車工業や国内他社にも販路を持っていることなどを知り、グンデルト氏の心が動いた。

グンデルト氏は、「私は12月17日に西ドイツに帰る。もし当社との提携を希望するなら、16日までに東京に来てください」との言葉を残して去った。

これに対して、当社は直ちに役員会を開き、受諾を決め、その旨の回答を行った。これを受けて、ロバート・ボッシュ社も、当社との技術提携交渉の開始を決断した。

1953年5月21日、当社とロバート・ボッシュ社は技術提携に仮調印した。

続いて、林虎雄社長と青木勝雄製造部次長、さらに事務担当役員の岩月達夫と技術担当役員の白井武明が相次いでロバート・ボッシュ本社に赴き、契約条件の詰めの交渉を行った。そして11月13日、ついに技術提携の正式調印に至った。

深掘り技術提携の成功要因
この技術提携が、当社が望む絶妙なタイミングで実現できたのは、三島博士らの好意ある仲介と、当時の経営陣の迅速果敢な意思決定と行動によるものであった。
それを可能にした背景として、当時の経営陣の間では、正式な意思決定でこそなかったにせよ、ボッシュ社との提携についてはかなり以前から研究と検討が進められており、機会さえあればいつでも動き出せる下地ができていたことが挙げられる。そのため、交渉の場では、当社からの出席者は、提携の内容・条件と諾否の回答を明確に具体的に主張することができた。