第1章 創業の時代
6. デミング賞への挑戦
1949-
(1)なぜデミング賞か
- 1959年
- 貿易自由化に伊勢湾台風の被害復旧も加わり、徹底的な企業体質の強化が必要となった。林社長は、品質管理の最高峰である「デミング賞」への挑戦を通して、会社の総力を結集する決意を固めた。

会社創立10周年となる1959年、貿易自由化を控えて、会社の体質を改善しようという機運が盛り上がっていた。
そこへ同年9月、伊勢湾台風が襲来した。当社は甚大な被害を被った。まず一日も早い復旧、そしてこれを機に、次への飛躍のための企業体質の徹底的な強化。これはもはや、避けては通れない状況となっていた。
今一度、全社員が創立当時の熱い決意に立ち戻り、その上で総力を結集すべき時であった。そのためには、何か有効な方策が必要であった。
全社の総力を結集する。そのために、思い切り高い目標に本気で挑む。林虎雄社長は決意した。「デミング賞」への挑戦を通じて、これを実現する。しかし、これはまさに言葉通りの、あるいはそれをも超えた「挑戦」であった。
- 深掘り貿易自由化と品質
- デミング賞への挑戦について、林社長は次のように語っている。
「貿易自由化によりアメリカ製が輸入された場合、国内の自動車メーカーは成り立たなくなってしまうのではないか。そんな中で当社はどうなってしまうのか。過去の拡販の経験に照らして考えた場合、結局、値段で勝負でなく、品質で勝負することが鍵ではないか。それが結果的に当社の存続だけでなく、日本の自動車産業を支える力になっていくのではないか」
「貿易自由化に対処してこれに勝ち抜くためには、全員参加のQC体制を徹底的に樹立し、それを実行することこそ最善の方法であると確信したので、外部の専門講師のご指導をうけ、また役員はじめ幹部職員はもちろん、係長、組長にいたるまでゼミナールまたは講習に出席し、さらに作業員の一人ひとりにいたるまでQC的考え方で作業するように指導してきた」
デミング賞は、日本の品質管理の最高峰といえる、権威ある賞である。当時、これをすでに受賞していたのは一流企業が20社程度、自動車業界ではまだ他に1社が受審を予定しているだけであった。
デミング賞には本賞、実施賞、中小企業賞の3種があり、当社は「デミング賞実施賞」を目指すこととした。
実施賞では、品質管理の目的の第一を「顧客を満足させる製品を提供すること」とし、統計的手法の活用により会社の業務運営がいかに行われているかが審査される。権威あるデミング賞を受賞できれば、企業として社会からの信頼を大きく高められる絶好のチャンスでもあった。
参照:デミング賞の概要