第2章 成長の時代
4. 1兆円企業実現へ
1971-
(1)実のある優良企業
- 1979年
- 低成長時代を切り抜けつつあった当社は、1979年に「80年代対応要綱」を策定し、「1兆円企業」実現への挑戦を宣言した。規模の拡大は追求するものの、内容の伴う優良会社であること、量と質の両立にこだわった。
1970年代、オイルショックを経て低成長時代に突入し、当社は経営新体制要綱を策定した。「世界一製品」を掲げて成長維持に邁進し、まずまずの業績をもって終える見通しがついてきた。
次の1980年代にはいかなる経営理念をもって立ち向かうべきか。当社の新たなビジョンを明らかにすべき時機が到来した。
1979年9月、平野史社長は「80年代対応要綱」を発表した。
この要綱では、「1兆円企業」の実現をスローガンに掲げた。10年後(1989年)に売上高1兆円を実現し、広く国際市場で安定した経営基盤を確保する、と宣言した。
資料編:要綱 80年代対応要綱
- 深掘り1兆円企業の意義
- 「売上高1兆円」という数量目標をあえて掲げたのは、1980年代を迎えるにあたり、社員を鼓舞し、総力を結集するうえで、スローガンとして最もふさわしいと考えたからであった。
当時、日本の製造業で売上高1兆円を超える会社はまだ少なかった。「1兆円クラブ」という言葉もあり、1兆円企業ともなれば、ステータスの高い会社の仲間入りをすることを意味していた。
しかし、これはなりふり構わずの拡張志向ではなかった。この要綱の企業目標では、「自動車部品の専門企業として、国内カーメーカーの発展に貢献することを第一に考える」と強調していた。
- 深掘り平野社長のこだわり
- 「1兆円企業」という明確な目標も、ただの「量」の追求に終わるものであってはならなかった。平野社長は要綱の発表に際して「中身のない1兆円には意味がない。新技術が生まれ、品質が向上し、コストダウンが進み、企業としての体質強化を伴う1兆円でなければならない」と強調した。
1980年代に差し掛かり、「エネルギー節約と経済成長の調和」が社会的に求められるようになっていた。これを念頭に置いて、成長実現の施策として、省エネルギー時代の自動車に要求される技術動向を先取りした開発戦略を推進することを重視した。
国際市場での安定した経営基盤作りのために、10年後の海外分野の売上比率20%を目標に据えた。その実現に向けて、海外派遣や海外研修などにより、国際時代にふさわしい人材の早期育成に取り組むことにもなった。