序章 立志の時代
2. 戦中・戦後の苦闘
1935-
(2)生産再開と企業再建
- 1945年
- 敗戦により工場の保全命令を受けた。生産設備の多くが使用できなくなった。生産継続に苦労しつつも、トヨタ自動車工業は再建整備に向けて動き出した。
1945年8月15日、終戦を迎えた。
戦後間もなく、日本に進駐してきた連合軍は、復興輸送用トラックの製造を許可し、同年12月8日、電装品部門は電装品生産の許可を受けた。こうして電装品部門は、精度の落ちた工作機械を何とか間に合わせながら、仕事をこなしていった。
1946年春になると、工場の運営はほぼ平常に戻った。出征していた従業員もほとんど復帰した。工場では従業員組合が結成された。
戦後日本の完全非武装化を図る連合軍は、工場などを賠償保全施設に指定して使用を禁止し、機械・設備の保全を命じた。電装品部門も重要機械217台が賠償指定を受けた。使用が許可された残り184台で、ほそぼそと生産を続けるしかなかった。
その後、朗報が届いた。国際情勢の変化によってアメリカの対日占領政策に変化が生じ、賠償保全指定が解除されることとなったのである。
1949年に入ると、トヨタ自動車工業は新たな「再建整備計画」を政府に提出した。この計画では、当社の前身である電装品・ラジエーター部門は、民成紡績、愛知琺瑯とともに、トヨタ自動車工業から「分離・独立」することになっていた。