第2章(1999~2010年)成長への意志が「優秀」と「最高」の差となる

3. ヨーロッパの法令順守で顧客をサポート、信頼と信用の基礎

(3) DNHAにおける労使関係の改革、福利厚生財団の設立

労使関係の安定化、個人の尊重

振り返ってみると、デンソーがSRFニッポンデンソーを立ち上げた1984年に生産を無事に遂行できたのは、良好な労使関係があってこそだった。

1980年代、業界は明確に管理職と労働者の二つのカテゴリに分かれていた。会社全体の労働力からの配慮、関心、そして参加が顕著に欠如していた。これにより、管理職と労働者がそれぞれ異なる関心と目標を持ち、双方の間に明確な分断が生じていた。

産業界と聞いて思い浮かぶものといえば、労働争議、労働組合化、暴力、行動規範の欠如だった。

インド経済は閉鎖的だったため、外国企業は関心を示さなかった。SRFは働き方を変えるために最善を尽くした。

ともかくも労働者と管理者はデンソートップの期待に応えられず、1986年から1987年には外部からDNIN組合が結成され、安定とは無縁な状態にあった。

このような歴史を背景に、人事トップが任務に取り掛かった。その任務とは、「新会社のDNHA(デンソー・ハリアナ)にいかに変化をもたらすか」であった。
デンソーには優れた価値観と理念があり、変化を引き起こすには古いやり方から新しいモノづくりへの転換が必要だった。
彼には強い意志があった。

「働きやすい場所を作るための努力も必要だ」

変化を起こすために、新しい基盤を支える重要な柱を打ち立てようと考えた彼は、創造性/熟練、改善、総智・総力、参画/女性のエンパワーメント、そして最終的には管理の現地化を重視した。

  • 第1の柱 ― 透明性
  • 第2の柱 ― 信頼
  • 第3の柱 ― 思いやり
  • 第4の柱 ― 尊重
  • 第5の柱 ― 平等

彼は回想する。「私たちは会議でともに話し合い、それから双方で決めました。当時のチームは、進取の気性に富む、選ばれたメンバーで構成されていました。その後私たちは、採用方針を変更したのです」

  • インド全土からTM(技術担当課長)を採用: 異文化 ― 多様性が唯一無二のシステムを生む。
  • 女性の比率を40%に高め、採用を開始:自動車業界で女性の人員を確保しようと考えるなら、それは優れた文化を醸成し、権限を与えることを意味する。デンソーは女性が経済的に自立することを目指していた。しかし、結婚後に退職したり、他の都市に移住したりする女性もいた。インドでは、女性は伝統的に国の経済に重要な貢献者として認識されていなかった。デンソーでは女性に権限を与えようと考えた。デンソーを通じた女性の貢献も認められる必要があった。
  • 会社で多くの業務を行うために、委員会の概念を導入していた。
  • またDNHAは、TM(技術担当課長)の身体検査を一切行わないなどの独自のポリシーを導入した。
  • 社会における著しい給与格差に対処するため、人々を結びつける取り組みを開始した。具体的な活動の一つとして、3つ星から5つ星ホテルでの交流会を開催することを始めた。
  • 認識:認識を促進するために、才能を認めて称賛するためのフロアミーティングを開始し、参加を奨励した
  • 研修と能力開発:1週間にわたる祭事は、デンソーの創業記念日を大切にしようと2003年にスタートした。クイズや五つ星コンセプトなどを取り入れた。デンソースピリットが2005年に施行された。社内外の研修を通じた継続的な心の教育を行った。
  • 2000年士気調査:段階的に開始してTMの幸福度と満足度を記録した。
  • 公正な評価活動:業績評価のための公正で透明性の高い仕組みを構築した。
DNHAの労使関係問題

円満な職場環境を作るために最善を尽くしたものの、2005年から複数の近隣企業で暴力、身体的暴行などの決して許容できない問題が発生し、これがDNHAにも影響を及ぼした。

2010年にはついに、若く労使関係になじみのないDNHAの一部の社員の考え方に影響が及んだ。

30%の社員がこの影響を受けており、最善のシステムを提供して何を行ったとしても、それによって一部の人々をつなぎ止めることは不可能であると、会社は学んだ。

DNHAが社員を解雇しようと考えたことは一度もないが、もし窃盗を働いたり、イメージを傷付けたりしようとする者があれば、その時は措置を講じることになる。

ストライキは31日後に終わり、60%が会社にとどまり、40%が去った(悪い要素)。
私たちは強いつながりの構築に着手し、ダメージコントロールを開始した。このストライキが起きた理由は、長期就労ではないこと、投資が行われていないこと、一部の社員が任務を遂行せずに何らかの利益を得たいと考えていたことにある。

顧客の信頼と献身の維持

有志の社員が60%いたため、40%の臨時社員を雇用した。DNHAにおける臨時社員の道のりが、ここから始まった。

そして2010年3月23日には顧客への納入を終えた。DNHAは降参しなかったのだ。その後、多くのチームメンバーが自らの間違いに気づいた。

経営方針として、人事の重点は社員を育て、デンソーWAYを実現することだった。社員の考え方を変える必要があった。

安定した労働環境を提供するために、すべてのインドグループ会社で福利厚生活動が強化された。

  • 2000年 ― マネサールのDNHAによる第1回ファミリーオープンハウス
  • 2004年DNHA ― 社会貢献活動/CSRの開始