第2章 南米事業を本格始動

1. NIPPONDENSO COMPRESSORES LTDA.(NDBC)の設立

(1) スプリンガー社との合弁検討

すでに述べたように、NDBは輸入関税の高騰に苦しんだが、これに加えてブラジル商工省から産業恩典を与えられていなかったことも事業継続を難しくした一因であった。この背景として、工場の所在地であるサンベルナルド・ド・カンポが工業集中排除地域に指定されていたことや、すでに現地資本によるカーエアコン産業があったことなどの事情が挙げられる。外資100%企業であるNDBにはブラジル商工省からの産業恩典が認められない。とはいえ、ブラジル企業との合弁事業ならば恩典を与えることが可能だと商工省は考えた。
「経営不振に陥っているスプリンガーアドミラルを救済してほしい」
ブラジル商工省からこのような依頼があったのは、1977年6月のことであった。
スプリンガー社はサンパウロから南へ600kmのポートアレグレに本拠地を構え、カラーテレビやルームエアコン、カーエアコン、冷蔵庫などの家電を製造販売していた。ルームエアコンの技術はアメリカのアドミラル社から導入したもので、カーエアコンではブラジルでシェア50%を占めるトップ企業として年間1万5,000台を販売していた。
ブラジル商工省の提案は、コンプレッサーを生産する合弁会社を設立してNDBとスプリンガー社に供給してはどうか、というものであった。これを契機としてマナウスでのエアコン組み立て計画が立てられたが、自由貿易地区を運営するスフラマ行政庁やスプリンガー社との間で出資比率などをめぐって意見が対立し、1979年にプロジェクトを断念することとなった。