第2章 成長の時代
1. 国際化への対応
1971-
(1)真の国際企業
- 1971年
- 脅威であった自動車の資本自由化が決まった。当社は対策として、「国際化推進要綱」を策定した。これを機会に、全世界を経営の場とし、本格的な国際企業となる意思を固めた。

「要綱による経営」は、当社の経営の特徴である。貿易の自由化という難局に際しては、1964年に初の要綱である「開放体制要綱」を策定した。続けて「新開放体制要綱」を策定し、当社はこれを旗印として総力を結集し、貿易自由化関連の難題を乗り越えてきた。
1960年代も後半になると、経済自由化の動きも大詰めを迎えた。いよいよ1971年に自動車の資本が自由化されることが決まった。
欧米カーメーカーが日本に進出してくる。日本のカーメーカーは、これらと本格的に競合しなければならない。当社もこれに勝ち抜くだけの競争力のある製品と、それを生み出す事業体制づくりを迫られることになった。
当社は1971年4月、「国際化推進要綱」を策定した。
当社のあり方として、全世界を経営の場と考えて企業活動を行う「国際企業」となることを宣言した。
これまでも当社は、国際競争に負けない体制づくりに努力してきた。そして、ある程度の成果を上げることはできていた。しかし、岩月達夫社長の認識では、それはあくまで政府による政策・規制の保護下での、いわば「温室の中での企業体質強化」であった。真価が問われるのはこれからであると、岩月社長は気を引き締めていた。
新要綱では、国際競争の激化という難局をむしろチャンスと捉えていた。これを機に決意を新たにして、世界的な視野に立って戦略を展開する。世界で戦うことができる「真の国際企業」となることで、資本自由化による国内競争の激化を乗り切る。それが岩月社長の基本方針であった。
資料編:要綱 国際化推進要綱