第3章 強化の時代

4. 世界への事業強化

1986-

(3)豪亜での体制強化

1990年代
ASEANでモータリゼーションが本格化しつつあった。各国での生産拡大への対応から域内全体での相互供給へと、当社の事業は高度化し、主要国の自動車産業育成にも大きく貢献した。
ニッポンデンソー・マレーシア
ニッポンデンソー・マレーシア

1970年代、アジア主要国の国産化規制と日本カーメーカーからの要請に応え、当社はノックダウン方式による現地組立事業を相次いで開始していた。

1980年代に入ると、モータリゼーションの本格化の兆しを受け、主要国での現地生産拡大の検討を進めた。

マレーシアでは、1981年に「国民車構想」が発表された。大衆が買える国民車を生産しようという、現地政府が命運を懸けた国家事業であった。

当社はその前年、現地進出した日本カーメーカーへ部品供給するため、「ニッポンデンソー・マレーシア(現・DNMY)」を設立し、電装品とラジエーターの生産を開始していた。現地政府トップからの強い要請もあり、当社は国民車事業を部品供給で協力支援した。

タイは、当社の海外生産拠点(ノックダウン方式)の第1号となった後も、順調に生産を拡大していた。モータリゼーションの一層の進展を見越して、当社はタイ現地事業のあり方を見直しつつあった。

1987年、金型生産の「ニッポンデンソー・ツールアンドダイ・タイランド(現・デンソー・イノベーティブ・マニュファクチャリング・ソリューション・アジア)」を設立した。ここでは良質安価な金型を生産し、タイだけでなく日本や他のアジア拠点へも輸出供給するという、新たな機能を担うことになった。

この後も、タイはアジアの機能センターとしての役割を強めた。アジアの生産統括機能を設置し、そのもとでテクニカルセンターや人材育成センターなどを相次いで設立した。

1990年代に入ると、アジア主要国のモータリゼーションがいよいよ本格化し、自動車生産台数が飛躍的に増加した。こうした経済成長は、先進国からの貿易自由化の要求を促すことになった。

ASEAN(東南アジア諸国連合)主要国は、それに応えて1992年に「ASEAN自由貿易地域(AFTA)」の創設に合意した。

これにより域内関税を段階的に引き下げ、2003年にはほぼ撤廃に近いレベルにすることが決定された。さらに、2000年までに各国の自動車および自動車部品の国産化規制が撤廃されることとなった。

参照:ASEAN自由貿易地域(AFTA)の概要

こうした動きに対して、当社はASEAN各国間の相互補完体制を構築することが最適の戦略であると考えた。

国境を越えた分業と相互補完は、主要国が揃って経済成長を本格化させつつあるASEANならではのやり方であった。また、多くの種類の自動車部品をこの地域で製造する当社には、打ってつけの事業方式でもあった。

具体的には、各国生産拠点の役割を明確にし、各国がそれぞれ特定製品の生産に特化し、それを域内で相互に供給し合う「ASEAN相互供給構想」として固めた。

しかし、その後、2000年ごろの本格稼働までには、各国政府からの合意と恩典の取得交渉、1997年のタイ通貨下落から始まったアジア経済危機など、当社は多くの難題を乗り越えなければならなかった。

深掘りASEAN相互供給構想の考え方
当社は1988年に「ASEAN相互供給構想」を企画・具体化するためのプロジェクトを新設した。
ASEANでは各国の自動車生産の規模がまだ小さいため、一国ごとでは自動車部品の現地生産の拡充は採算的に無理であった。しかしながら、ASEAN全体で見ると量的には十分な規模があった。そこで、各国の生産品目を特定のものに絞り、ASEAN内で相互に供給し合えば、各国の産業成長に貢献しながら事業性を高めていくことができるという構想であった。
多様な民族・文化を持つ国が隣接するASEANであり、国を越えた分業と相互補完で成長をめざすという考え方は、ASEANの特性を踏まえたものであった。
深掘りASEAN相互供給構想の実現
「ASEAN相互供給構想」は、理屈としては賛同できるが、現実には各国の利害や思惑もあり、実現に向けて生産品目の調整で難航が予想された。また、ASEAN域内での製品の輸出入を円滑に行うためには、輸入関税の大幅引き下げが必要であり、そこでも各国の協調が求められた。
当社は必要な実務を現地で強力に推進するため、1995年に統括会社「デンソー・インターナショナル・シンガポール」を設立した。関係国との調整と合意を得るため、当社の担当者は各国政府と個別に直接交渉を重ねた。そして、相互供給に必要な関税低減の恩典を得るための現地制度に申請を行い、さらに交渉を粘り強く続け、ついにはその認可を得ることができた。
SRFニッポンデンソー
SRFニッポンデンソー

大きな潜在市場であるインドでは、1980年代に入って外資規制が緩和され、トヨタ自動車とスズキが相次いで現地進出した。

当社はこれに呼応して、1984年に「SRF・ニッポンデンソー(現・DNIN)」を設立して電装品等の生産を開始した。続いて1985年には、「スブロス(SUBROS)」を設立してエアコンの生産を開始した。

中国では1989年の天安門事件の後は様子見が続いていた。しかし、1990年代の半ばになると、日中間のビジネス気運が高まっていた。中国政府も、国家の基幹産業として、自動車部品産業の発展への期待を強めた。

当社は1993年に「烟台首鋼電装有限公司(現・YSD)」を設立してエアコン生産を開始し、中国への生産進出を果たした。

以後、天津、重慶、広州などに電装品、エアコン、二輪車用部品などの生産会社、さらには技術センターなども含め、中国における主要地に数多くの拠点を設立した。