第3章 強化の時代

5. 未来への事業強化

1986-

(2)EVへの挑戦

1992年
米国の法規制導入を契機として、当社は1992年、「EV(Electric Vehicle)プロ」を新設した。必要な技術の手の内化と独創的な製品開発にこだわった。HEV(ハイブリッド車)用インバーターでは画期的な製品を生み出した。

当社は戦後間もない混乱期に、電気自動車(BEV)を50台生産した実績があった。やむなく生産中止に至ったが、あえて困難な開発に挑戦しようという先人の心意気が後に残った。

その後約20年を経て、1970年に「電気自動車機器事業部」を設立した。

事業部としては小さかったが、高度なモノづくりの知識を持つ技能者や研究開発分野の優秀な技術者を集めた。やがて来るであろうEV時代に備えて、走行モーターやコントローラーなど、関連製品の事業化を進めておくことを狙いとしていた。

事業部発足と同時に、通産省(現・経済産業省)の大型プロジェクト「小型乗用電気自動車の研究開発」に参加し、当社はモーター、コントローラーを担当した。

しかしその後、モータリゼーションが進展する中で、EVの需要が大きく伸びることは当面ないと判断した。このプロジェクトは1976年に終了した。

当社の電気自動車機器事業部も、設立後わずか4年で別の事業部に併合された。併合後も、EV関連の仕事は増えず、厳しい時代が続いた。

状況が変わったのは1992年であった。

米国カリフォルニア州の「ZEV(Zero Emission Vehicle)規制」により、米国でエンジン車を売るためにはEVの開発・商品化が不可欠となった。

これによりトヨタ自動車が「EV開発部」を設置したのを受け、当社も1992年、「EVプロジェクト室」を発足させた。ここには電機、電子、冷暖房など、全社からEV関連製品の担当者を約100人集めた。

深掘りEV製品の開発方針
当社は、「EV固有の構成製品のキー技術を自前化する」「競争力確保のためのオリジナル技術の開発と特許化を図る」といった、自主自立志向の強い方針を掲げていた。EV製品のキー技術となるのは、高電圧対応技術、交流モーター制御技術、パワースイッチング技術、電池管理技術などであるが、これらは電気・電源メーカーが先行している技術分野であった。
当社は「タウンエースEV」や「RAV4-EV」の製品開発を通して、キー技術を一つずつ習得し、当社のオリジナル技術として手の内化していった。さらにこれらのプロジェクトで得た様々な経験が、その後に続くHEV(ハイブリッド車)用の製品開発を進めていく大切な礎石となった。
両面冷却インバーター(2007年)
両面冷却インバーター(2007年)

最初の仕事は、1993年に量産化した「タウンエースEV」用の製品開発であった。当社は電池ECU、電流センサー、DCDCコンバーターなどを受注した。しかし、市販品に使用できる構成部品が少なく、必要なものは自ら設計することからのスタートとなった。

次に進められたのは、初の本格的なEVと言われた「RAV4-EV」用の製品開発であった。

カリフォルニア州規制を意識して、車両性能もエンジン車と同等であることを目指した。ここでも、構成部品は必要であれば全て新規開発しようという、本格的な方針で臨んだ。当社はこの車で初めて走行インバーター(主機)を担当し、小型タイプを開発した。

HEV(ハイブリッド車)の本格的な世界展開は、1997年発売の「初代プリウス」に始まった。2002年に、トヨタ自動車が「ハイブリッド車30万台計画」を打ち出した。ここで初めて、当社に量産HEVの主機インバーター開発への協力依頼があった。

主機製品を手掛けたいというのは、かねてから当社技術者の念願であった。しかし、このインバーターの要求仕様は、想像を絶するほど厳しいものであった。

当社はこのチャンスを絶対に逃したくなかった。八方塞がりのような状況から、素人同然の発想を独創的な新アイデアへと活かし、やがて全社的な協力も得て、2007年、画期的な「両面冷却インバーター」を開発した。

深掘り両面冷却インバーターの開発
2002年5月、トヨタ自動車が「ハイブリッド車30万台計画」を打ち出した。それを達成するためには、超小型の主機インバーターが必要であった。その要求仕様は、体格、出力ともに、想像を絶する厳しさであった。
同年7月に開発プロジェクトが発足した。しかし、インバーターの素人がほとんどであった。早急に必要な人員を確保し、まず開発体制を整えた。
アイデア出しに苦労する中、両面に冷却チューブを入れて蛇腹構造にしてパワーカード挿入後潰すというアイデアが出た。感電の恐れもあるインバーターにおいては、専門家ではできない発想であったが、その素人のアイデアを採用したのも常識を超えていた。何としてでも良いモノを作りたいという強い思いがあればこそであった。その後は、関係技術部からの協力を得て、当社の総力を結集した開発活動となっていった。