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日本では、林業の衰退や所有者問題により、適切な管理が行き届かない森林が増えています。その結果、土砂災害などのリスクが高まるなど、日本の森林はいま、さまざまな課題に直面しています。
デンソーは、こうした課題に向き合い、顧客のニーズに寄り添った「森林内のデジタルデータ化」を推進しています。森林の現況を可視化することで、管理を行いやすい環境を整え、森林が本来持つ多面的な価値を引き出すとともに、CO₂吸収量の向上や、土砂災害・獣害対策などへの応用を通じて、市民の安心・安全への貢献を目指しています。
今回は、「森林プロジェクト」のメンバーとともに、実証実験パートナーである豊田市森林課を訪問し、森林行政の取り組みと、これからについて話を伺いました。
この記事の目次
災害リスク、所有者問題、CO₂吸収量の低下——森林が直面する課題とは?
日本の国土の約7割を占める森林では、手入れが行き届かない状況が各地で広がっています。森林に生い茂る木々が過密になると、根が浅く細い木が増え、雨粒の衝撃を受け止める下草も育ちにくくなります。その結果、土砂崩れや洪水のリスクが高まるなど、私たちの日常の安全にも影響を及ぼします。とりわけ、人手で植えられた人工林では、その影響が顕著だと考えられています。
戦後の拡大造林政策によって植えられた人工林が成熟期を迎える一方で、管理を担ってきた人々の高齢化が進み、引き継いだ次の世代には、所有する森林の場所すら伝わっていないケースも増えています。相続を繰り返すなかで、山主が現況を把握できていない森林は全国に広がり、間伐や境界確認といった管理作業を進めるうえでの大きな障壁となっています。
さらに、気候変動との関係も見逃せません。森林は、CO₂を木材や土壌に長期間蓄える「貯蔵庫」として重要な役割を果たしますが、手入れが行き届かない過密な人工林では、光合成の効率が低下し、CO₂吸収量が下がることが指摘されています。
こうした災害リスク、所有者問題、CO₂吸収量の低下といった課題解決に共通する鍵として、近年注目されているのが「森林の可視化」です。どの木がどこにあり、どのような状態にあるのかを定量的なデータとして把握できれば、境界の特定や間伐対象地の判断、CO₂吸収量の算定など、さまざまな意思決定の拠り所となります。
航空写真や衛星データはすでに活用されていますが、樹木に覆われた森林内の詳細な情報を取得することは容易ではありません。そこでデンソーは、森林課題に向き合う多くの声を受け止めながら、屋外環境への適応という点で難易度の高い「森林内のデジタルデータ化」に、2019年から挑戦してきました。
自動車で培った環境適合の知見を活かした「森林内のデジタルデータ化」へのチャレンジ
「気候変動をはじめとした地球環境の変化に、自動車産業は少なからず影響を与えています。デンソーでは、カーボンニュートラル社会の実現に向けてCO₂排出量削減に取り組むなか、日本の森林管理を通じたCO₂吸収量の向上にも着目しています」
(藤井)
そう語るのは、デンソーの社会イノベーション事業開発統括部の藤井直樹です。この森林プロジェクト(社内通称)は、メンバーである井村多加志の先祖から受け継いだ北海道の森林が2016年の台風で被害を受けた経験を起点に、自動車産業、気候変動、森林の接点を探る構想として始まりました。
自動車のセンシング技術を応用した森林計測のコンセプトは、2018年の社内新規事業コンテストを契機に、有志活動としてスタート。現在は、さまざまな行政と連携した実証実験へと発展しています。
デンソーが「森林内のデジタルデータ化」に向けて注力してきたのは、顧客が求める正確さで、森林内の状況を示したデータを生成することです。将来的な電動モビリティによる自律計測を見据え、軽量なカメラを用いた計測とすることで、色情報を含む3Dデータの生成を可能にしました。白黒では判別が難しい地表の目印や植生の違いも、色のあるデータであれば直感的に識別できます。
「データに不慣れな山主さんにも見ていただくことを考えると、色のないデータでは現場の状況がなかなか伝わりません。色があることで、境界の目印である石垣なども視覚的に確認でき、『ここが境界だと昔教えられた』と思い出してくださる場面もありました」
(井村)
市民の安心・安全のために過密人工林ゼロを目標にする豊田市との連携
森林プロジェクトは、2019年の有志活動開始以降、行政を含むさまざまなステークホルダーと連携の可能性を探ってきました。そのなかで、2024年に愛知県の革新事業に採択され、実証実験を継続的に進めてきたパートナーの一つが、豊田市です。
この写真は、以下の著作物を改変して利用しています。
【新緑の香嵐渓】、豊田市、クリエイティブ・コモンズ・ライセンス 表示4.0国際(https://creativecommons.org/licenses/by/4.0/deed.ja)
豊田市が森林管理に力を入れる背景には、2000年9月の東海豪雨があります。矢作川上流域で山地災害が多発し、中流域の都市部が水没寸前に至った経験から、「上流の人工林を健全化することが、中下流域の安全につながる」という認識が、市の森林行政の根幹となりました。
2005年の平成の大合併により、周辺町村を編入した豊田市は、市域の約68%を森林が占める森林都市となりました。これを受けて専門部署として森林課を設置し、森林を防災や市民生活の視点から捉えた施策を進めてきました。
2007年には、「森づくりは百年の計である」という考えのもと、「豊田市森づくり条例」および「豊田市100年の森づくり構想」を策定。以後20年以上にわたり、過密人工林を減らすための森林管理に取り組んできました。
豊田市産業部森林課副課長の小山剛さんは、こうした姿勢について次のように語ります。
「国や他の自治体の多くは、木材を売ることで林業を産業として成り立たせることを重視しています。一方で、私たち森林課は、市民の安心・安全を中心に据えてきました。間伐についても、防災という観点から取り組んでいます。現在は、2032年度末までに過密人工林ゼロを目標に掲げて活動しています」
(小山)
森林のデータ化に不可欠な「測量」と「森林調査」の方法を変革する
森林の適切な管理に欠かせない間伐を進めるには、森林所有者の同意が不可欠です。そのためには、所有者を特定し、立木管理のための境界を確認したうえで、現状を科学的なデータで示す必要があります。具体的には、境界を明確化するための「測量」と、間伐が必要な森林かどうかを判断する「森林調査」という二つの工程が必要ですが、いずれも市にとって長年、大きな負担となっていました。
従来の測量は、方位磁針や距離計を用い、2人1組で森林の中を歩く方法で行われており、1点の計測に約5分、1区域の測量には2〜3週間を要していました。森林調査も同様に、1区域あたり4日以上かかることも珍しくなく、ほぼ人力に頼るアナログな作業が続いていました。
その背景について、豊田市産業部森林課森づくり推進担当の田中貴之さんは、次のように振り返ります。
「コンパスの数値をデジタルで記録できるようにはなりましたが、やり方そのものは伊能忠敬の時代とほとんど変わらない方法で測量をしてきました。だからこそ、プロセス自体をデジタル化し、効率化していきたいと、常々感じていました」
(田中)
「所有者の確定」も、容易ではありません。木は60年単位で育つため、植林した世代からすでに代が替わり、高齢化により現地に足を運べない所有者や、市外・県外に転出して森林の存在すら知らない相続人も少なくありません。1区域の所有者を明確化するために立ち会いを行おうと関係者を10人集めても、実際に森林に上がれるのは2〜3人というケースが現実です。
こうした課題を抱えるなかで進められた、豊田市との実証実験は、決して平坦な道のりではありませんでした。とりわけ当初に直面したのが、「精度の検証」という壁です。デンソーのシステムが出力するデータと、豊田市が長年用いてきた既存データとの間に、ずれが生じたのです。
原因を丁寧に検証した結果、従来のコンパス測量は、コンクリートなどの人工物の近くでは磁気の影響を受けやすく、比較の基準そのものに課題があることが分かりました。そこで、測量法に基づいた公共測量済みの地点を基準に据えた精度検証へと方針を切り替えていきました。
こうしたプロセスを経て、測量した森林の地境(土地の境界線)と、実際の境界とのずれは、基準内に十分収まることが確認されました。あわせて、測量にかかる作業時間も、従来の2〜3週間から2〜3日へと、大幅に短縮できる見通しが立っています。
こうした試行錯誤を経て、現場での手応えも徐々に生まれていきました。
豊田市産業部森林課副課長の小山剛さんは、デンソーとの協働を次のように振り返ります。
「デンソーさんとの協働で大きかったのは、要望から改善までのサイクルが非常に速かったことです。『もうそこが直ったのか』『そんなところにも対応できるのか』と感じる場面が何度もあり、『実装までたどり着けるかもしれない』と思えるようになりました」
(小山)
一方藤井は、技術開発の過程で意識してきた点について、こう語ります。
「お客様ごとに必要とされる適正な品質があるなかで、ミリ単位で精度を追い求めても、必ずしも現場がそれを求めているとは限りません。森林分野では、現場の担い手の感覚が重視されますし、行政による公共インフラ事業である以上、コストにも制約があります。そうした点を再認識しながら、日々起きている課題と技術が重なるポイントを、密にコミュニケーションを取りながら探っていきました」
(藤井)
測量にとどまらず、「森林調査」においても変化が起きています。生成した3Dデータから、森林内の木の本数や位置、直径を計測できるようになり、これまでベテランの経験や勘に委ねられていた判断を、データで裏付けることが可能になりつつあります。
「現場で伐採作業をする方からも、森林の状態が事前にデータで見えることで、木を倒す順番の計画が立てやすくなるという声がありました。雨で森林に入れない日に計画を整え、晴れた日にすぐ動ける。そうした業務効率化への道も見えてきています」
(井村)
こうした豊田市での取り組みは、同様の課題を抱える他の自治体からも関心を集めています。山裾の手入れ不足が一因とされるクマの出没や、山火事のリスクなどを背景に、森林管理の重要性は全国的に高まっています。
本取り組みは、2026年度から実装段階への移行を予定しており、豊田市で得られた成果を広く発信することで、他地域への展開にもつなげていくことを見据えています。
カーボンクレジット創出や、土砂災害・獣害対策——「森林データ」の応用可能性
豊田市などでの実証を通じて蓄積してきたデータと知見は、測量や森林調査の効率化にとどまらない可能性を秘めています。その一つが、カーボンクレジットの創出です。森林が吸収・固定したCO₂の量を数値化し、売買可能とするカーボンクレジットは、企業が自社の排出量を相殺する手段として活用されています。
クレジットの発行には、対象区域の面積や樹木の情報、所有者情報などが必要となりますが、申請に必要な情報を、蓄積された森林データから一括で取得できれば、これまで煩雑だった発行プロセスは大きく変わります。東京大学との共同研究も、こうしたデータ化の可能性を見据え、より定量的な根拠に基づくカーボンクレジット創出を目指して進められています。
また、土砂災害や獣害への対応においても、森林データの活用が期待されています。植生や土壌の変化を継続的に記録・比較することで、災害リスクの高まりを早期に捉えたり、クマなど野生動物の生息域の変化を把握したりするための基礎情報となり得ます。現在は構想段階ですが、データの量と精度が高まるにつれ、こうした分野への応用も現実味を帯びてきます。
一方で、森林が抱える課題は、一個人や一企業の力だけで解決できるものではありません。山主の高齢化や人材不足、制度的な壁、地域ごとに異なる課題の複雑さなど、それぞれの現場で試行錯誤しながら、技術と運用をともに育てていく協力が欠かせません。自治体や林業経営体、研究機関、そして課題意識を持つ企業や個人。森林の可視化という入り口から、さまざまな立場の人たちがともに取り組める余地は、まだ大きく残されています。
「森林の問題は、デンソーだけでは解決できません。だからこそ、私たちの取り組みに関心を持ってくださる方や、一緒に考えてくださる方と出会っていきたいと思っています。地道に続けることと、仲間を増やすこと。その両方を大切にしながら、森林を取り巻く課題の解決を目指していきたいです」
(井村)
※本記事で記載の「測量」とは、測量法における公共測量を示すものではありません。
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