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新型コロナウイルス感染症のパンデミックは記憶に新しいですが、人類とウイルスとの闘いそのものは、歴史上絶えることなく続いています。その中で浮き彫りになったのは、症状が出てから検査を行う「事後対応」の限界でした。
「もっと早く、現場で手が打てれば――」 。たとえば、一刻を争う畜産の現場。感染疑いが生じてから検査機関に検体を送り、数日後に結果が出るのでは手遅れになってしまうことがあります。
現場の担当者が求めているのは、専門知識がなくても、その場ですぐに、かつ正確に結果がわかる仕組みです。そこで注目されたのが、誰もが扱いやすく、正確かつ速やかに結果がわかる検出装置「バイオセンサー」です。デンソーではパンデミックの渦中からこの技術開発に着手し、その挑戦の第一歩を発信してきました。
それから3年。技術は単なる「ウイルス検査」の枠を超え、アレルゲンなどの検出や、より現場で使いやすい小型化へと進化を遂げています。
今回は、デンソーにおけるバイオセンサー開発と、その社会実装に向けた挑戦の現在地について、社会イノベーション事業開発統括部の中川和久、河合啓太、酒井達也、マテリアル研究部の中村和也に話を聞きました。
この記事の目次
感染状態を早期に可視化する「バイオセンサー」技術
バイオセンサーの開発は当初、「ウイルス検査器」としての活用に主眼を置いていました。しかし、感染症の収束傾向とともに、技術の応用先の拡張にも取り組み始めました。
現在では、空気中に含まれる他のウイルス・細菌、さらには特定のタンパク質、バイオマーカー、アレルゲンにまで検出対象を拡大しています。
これにより、空気中のウイルス・細菌濃度をリアルタイムでモニタリングし、パンデミックや食中毒の発生を未然に防ぐソリューションとしての活用が期待されています。
このバイオセンサーの中核技術は、「アプタマー※1」と「半導体センサー」の組み合わせにあります。この技術により、PCR検査に匹敵する高感度検出(10個/µl)を30分以内というスピードで実現し、検出結果をデジタル信号で出力することを可能にしました。
※1 アプタマー:特定の物質に結合する性質を持つように人工合成した核酸分子
多くの企業が抗体を使用するなかで、私たちが「アプタマー」を選択した理由は戦略的なものでした。抗体の生成には生物や細胞が必要ですが、アプタマーは化学合成によって安定的に大量生産が可能です。ここには、デンソーが長年培ってきた「モノづくり技術」という強みが生かされています。また、ウイルスが変異した場合でも、アプタマーなら迅速に構造を変えて対応できるという利点もあります。
こうした一連の技術は、2013年から行ってきた運転中の心筋梗塞や心臓発作、脳梗塞といった病気による「交通事故を減らすためのバイオセンサー」や「快適な車室内空間のためのウイルス・細菌検知センサー」の研究が基盤となり、その発展形として結実したものです。
デンソーが持つ技術を活かして開発中の2つのソリューション
現在、具体的に開発を進めているのは「空気質センシングソリューション」と「カートリッジ型検査装置」という2つのソリューションです。
空気質センシングソリューションは、空気中に浮遊するウイルス・細菌を効率的に検出するシステムです。その中核となる「空気回収装置」は、既存の空気を回収するサンプラーと比較し、ウイルスサイズの微小な粒子をより効率的に捕集できるよう改良されました。
回収したサンプルは、後述する「カートリッジ型検査装置」に送られ、空気中に対象となるウイルスや微生物がどの程度存在するかを定量的に分析します。用途によっては、空気回収装置と検査装置を一体化し、ウイルスの捕集から検査・分析までを完結させるシステムも想定しています。
一方、カートリッジ型検査装置は、「流体構造」と呼ばれる構造への転換によって、ロボットによる工程間の搬送作業を廃止し、大幅な小型化を実現した検査システムです。そのシステムについて、中村は次のように語ります。
「これまでラボ環境での実験においてはロボットが液体の中からウイルスを取り出して工程間を移動していました。しかし、今回の装置では、検体に試薬を混ぜ、ウイルスだけを抽出するという一連の作業工程を、一枚のカートリッジ内の流路で自動完結させる仕組みの構築に成功しました」
(中村)
従来の装置は子どもの腕ほどのサイズの産業用ロボットアームを活用したものでしたが、現在は流体構造の活用によりティッシュ箱サイズまで縮小され、必要な検体量も従来の10分の1まで削減されました。技術的にはさらなる小型化が可能ですが、現在の装置は液体の流れが目視で確認できるよう、意図的なサイズ設計としています。
しかし、これらのソリューションの開発が進展すると同時に、デンソー単独では解決できない課題も明確になってきました。特にウイルスの噴霧実験には特殊な施設と手段が求められ、専門的な知見を持つ外部パートナーとの連携が不可欠となるためです。
自社の強みを活かしつつ、外部パートナーと共創してバイオセンサー技術の事業化へ
2つのソリューションの実用化に向けては、現在さまざまなパートナーとの連携を強化しています。 技術パートナーとしては試薬メーカーとの連携を進める一方、病院、大学、自社農園などの実証パートナーとフィールド実験を計画しています。また、事業化パートナーとして医療機器メーカーとの協業も進んでいます。こうした背景を中川は次のように語ります。
「自動車部品の製造に従事してきたデンソーにとって、医療業界は異分野となります。モビリティで培った、モノづくりや量産に向けた品質関連の技術を大きな武器としつつも、自社が保有していない知見や市場との接点についてはパートナー企業や団体と連携し、相互補完の関係を構築することを目指しています」
(中川)
そうしたパートナーを集めつつも、事業化に向けてはまだ多くのハードルがあります。現在直面している課題について、河合は次のように語ります。
「私たちが解決したい社会課題に対し、パートナー企業の技術者の方々からは共感をいただいています。しかし、それを実際にビジネスにする段階になると、まったく異なる視点での課題が次々と出てきます。最終的に大きな市場を形成するにはコストを下げる必要がありますが、技術実証に近い製品化の段階ではどうしてもコストが上がってしまう。そこで、まずは価格が高くても『使いたい』と思ってもらえる、重要な課題にアプローチする製品を生み出すことが鍵になると考えています」
(河合)
こうした共創を通じて、医療から製造、食品・衛生など、さまざまな分野でのソリューション展開を模索しています。なかでも課題が顕在化している畜産現場と農業現場には、具体的なソリューションの提供を想定しています。
「畜産現場では、鳥インフルエンザによる殺処分が深刻な問題となっています。鶏舎付近の空気環境をモニタリングしてウイルス・細菌の検出ができれば、素早い対策が可能になるでしょう。
また農業現場では、空気中のウイルス・細菌やカビを検出・モニタリングすることで、より科学的根拠に基づいた栽培管理が可能になります。現在は現場作業者の経験と感覚に頼っている部分を、データに基づく判断に変えることで、効率性と持続可能性の両立が可能になると考えています」
(河合)
また、自社のみでは想定しきれない応用先の発見も重要です。外部への技術発信やヒアリングを通じて、想定外のユースケースが見つかることもあります。
「多様な分野の方と議論するなかで、バイオセンサーの応用先が見つかることもしばしばあります。たとえば、食品分野では『食中毒未然防止』の重要性が指摘されますが、現在の培養による検査では結果が出るまでに1〜2日かかるため、リアルタイムでの食品安全管理は困難です。しかし、迅速検査が可能になれば出荷前の品質確認も現実味を帯びてくるため、ソリューション化の大きな可能性を感じています」
(酒井)
バイオセンサー技術で安心・安全でウェルビーイングな暮らしを届ける
開発チームのメンバーはそれぞれどのような思いで事業化に取り組んでいるのか。30歳の時に社内のビジネスコンテストで優勝したことをきっかけにバイオセンサーに携わりはじめた河合は、次のように語ります。
「技術が優れていても、出口までしっかりと考えなければその価値は広がっていきません。当社は間接部門やパートナーの協力も得ながら、基礎研究から量産、事業化までをグループで一貫して行えるので、出口に求められる技術開発ができる体制となっています。この仕組みを生かした事業がうまくいけば、今後の重要なロールモデルにもなると考えており、技術の事業化を成功させたいと考えています」
(河合)
量産製品から新しい付加価値製品に取り組んできた酒井も、自社の強みをもとにしたバイオセンサー技術に、大きな可能性を感じているといいます。
「事業化へとなかなか進まない新規事業も多くあるなかで、空気質センシング技術は市場・社会のどちらにも貢献できるものです。私自身は自動車部品の量産設計から新規事業企画に移ってきましたが、技術と事業の両方の視点から事業化に貢献していきたいと考えています」
(酒井)
そして中川が何より重視したいのは、デンソーの技術とソリューションを必要としている人々にきちんと届けていくことです。
「技術開発と並行してさまざまなユーザー候補へのヒアリングを進めています。医療機器メーカーや医療従事者、畜産業の方々と議論するなかで、さまざまな困りごとが見えてきています。そうした方々が直面する課題に対し、この技術をしっかりとソリューション化し、ご提供していきたいと常に思っています」
(中川)
そうした背景のもとで試作品開発を進めるなか、コア技術と製品デザイン、共創の仕組みづくりが評価され、2025年にはグッドデザイン賞を受賞しました。「多様な事業パートナーとの共創を考慮し、サイズ、ユーザビリティ、コストの観点から見事な工夫がされており、同社の知見が誠実で丁寧なデザインに美しく落とし込まれている」という審査コメントもいただいています。
これまでデンソー単体では想定しきれていなかった応用先を事業パートナーと探索し、バイオセンサーの事業化に向けて挑戦を続けていきます。社会のさまざまなシーンで使えるバイオセンサーの背景には、「安心・安全でウェルビーイングな暮らしをつくりたい」というビジョンがあります。このビジョンに共感し、技術の早期の社会実装をともに進めてくれる仲間を今後も集めていきます。
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