ウイルス検査に、新しいアプローチを

新型コロナウイルス感染症のパンデミックが宣言されて2年以上が経ちますが、ウイルスの感染拡大はなかなか収まる気配を見せません。人々は感染拡大の防止に努めながら普段の生活を取り戻そうとしています。しかし、どんなに気を付けていても感染を完全に防ぐことはできません。そうしたとき、感染を広めないために私たちが頼りにしているのが、「検査」 です。

しかし、高感度な検査を感染状況に応じて柔軟に準備し、その結果をタイムリーに共有しながら治療や感染対策に活用することの難しさに気が付きました。

悩みを抱えるのは医療現場だけではありません。たとえば消毒のために工場の生産ラインを止めたり、学校や保育園を休校・休園にしたり、イベントや講演を中止したり、飲食店の営業時間が制限されたりと、経済活動にも大きな負担をかけています。

誰もが扱いやすく、正確かつ速やかに結果がわかる装置があれば、感染拡大の防止に貢献し、医療や経済のひっ迫の解消につなげていくことができるはず。

「バイオセンサー」4つのメリット

デンソーではこうした問題を解決し、高感度かつ迅速な検査を可能にするバイオセンサーの開発に取り組んでいます。

「導入しやすい小型な検出器をつくれる」「誰でも使える」「すぐに結果が分かる」「新たなウイルスに対しても迅速に対応できる」という4つのメリットをもつバイオセンサーは、感染症と私たち人類の付き合い方を変えるポテンシャルをもっているのです。

この検出器は、高精度ながらPCRのように専門家の技術を必要としません。そして検査結果が出るまでの所要時間は15分未満と短時間です。さらに、検査結果はそのままデジタル信号に変換できるので、データの管理もしやすくなります。マテリアル研究部R&I部門に所属する中川和久は、その先に見据える社会変化について、次のように語ります。

「カートリッジにセンサーが内蔵された非常に小型な製品にできると考えています。機器を小型化できれば小さなクリニックにも置いていただけるようになりますよね。最初はノートPCくらいの大きさ、ゆくゆくはスマートフォンレベルにできればと思っています。近所の薬局やコンビニにいく感覚で健康診断を受けられる日がくるかもしれません」(中川)

こうしたバイオセンサーが普及していけば、例えば位置情報を付与したデータをクラウドで管理して入力・集計の手間を省いたり、集まったデータをもとにこれから必要になる病床数や薬、ワクチンの数を予測したりといったことも不可能ではありません。

「すぐに検出結果が出れば医療処置や対応も早くなり、周りに感染者を増やさずに済むというメリットがあります。誰でもどこでもすぐに検査結果がわかり、さらにその結果をリアルタイムで共有できる未来を想像しています」(中川)

高感度で小型の検出器が普及すれば、医療現場の負担も大幅に軽減されるでしょう。また結果が自動的にデジタル化されれば、感染状況をより正確に把握し対策を立てやすくなります。

新しい検査方法を生み出す、2つの技術の組み合わせ

このバイオセンサーは、「アプタマー」 と「半導体」というふたつの要素からできています。前者のアプタマーは、特定の物質に結合する性質を持つように人工合成した核酸分子です。

新型コロナウイルスの検査においては、ウイルスと選択的に結合するアプタマーをつくります。そのアプタマーには検知した信号を増幅する機能が付与されており、結合をイオン感応性電界効果トランジスター(ISFET)と呼ばれる特殊な半導体センサーで検知することで、PCR検査に迫る高い検出感度が期待できます。

一般的なウイルス検査は、光や色に変換して、目視またはカメラで判定するというアプローチです。光を用いる検査を自動化する場合には、外部に受光素子が必要なため、装置の小型化に限界があります。

一方で、バイオセンサーは溶液のなかのイオンの変化を直接観測でき、外部にセンシングのための素子が不要なため、高感度でありながら非常に小型な装置を作れるというメリットが挙げられます。

その検出方法の違いについて、中川は次のように話します。

「検出結果はデジタル信号で出力されます。検査結果が色の濃淡の線で見える抗原検査がアナログ体温計だとすると、わたしたちが開発しているのはインターネットに直接つなげるデジタル体温計のイメージでしょうか」(中川)

研究は 「 交通事故を減らす 」 目的から始まった

このバイオセンサーの研究開発は、実は交通事故に関するプロジェクトとして始まりました。新型コロナウイルス感染症が初めて報告されるよりも以前のことです。マテリアル研究部の糠塚明はこう話します。

「今回の技術は、心筋梗塞や心臓発作、脳梗塞といった病気による交通事故をいかに防ぐかを考える研究として始まりました。こうした病気は総じて血管が詰まって起こるもので、原因がほとんど同じです。それなら、その詰まりをバイオセンサーで検出できれば、病気によって引き起こされる交通事故が少なくなるのではと考えたのです。こうして研究が始まったのが2013年あたりのことでした」(糠塚)

その後プロジェクトは形を変え、2019年ごろにはシェアリングエコノミーの文脈で再び技術が注目されるようになりました。一台の車を複数の人間が使うカーシェアでは、車内をいかに清潔に保つかという問題が出てきます。そのなかで、インフルエンザウイルスなどのウイルスや病原菌を検出するセンシング技術に強いニーズが生まれたのです。さらに、新型コロナウイルスの感染拡大を機にAMED(日本医療研究開発機構)の支援を受けて開発が加速し、技術の確立につながりました。

そうした経緯を経て確立された今回の技術ですが、アプタマーには初期から注目していたと言います。バイオセンシングでは一般的に抗体が使われることが多いものの、すでに市場が出来上がっており、後発組であるデンソーには新しく参入する余地がなかったのです。その一方で、アプタマーは将来性が高く、進出している企業が少ないブルーオーシャンだったことが挙げられます。

そうした領域を開拓するうえでデンソーの強みとなったのが、半導体の専門家とバイオ領域の専門家が同じ会社にいることだったと、中川は考えています。

「どちらか片方の技術だけでは成り立たない仕組みを採用しているんです。例えば、この技術で使う試薬のなかには半導体のセンサーをうまく機能させるための材料が入っています。そしてセンサー側には、その材料を適切に読み取るための電子回路や信号処理が入っているわけです。」(中川)

多くの企業が抗体に目を向けるなか、アプタマーに目を向けたデンソー。そのおかげで得られた技術的なメリットもあります。抗体は生き物や細胞を使わないとつくれませんが、アプタマーは試験管を振ることで化学的に合成できるのです。

生き物を用いて偶発的につくられる抗体よりも確実に大量に合成できるので、デンソーが得意とするものづくりにおける生産方法がバイオセンサーの分野でも生かせるようになりました。またウイルスが変異をした場合も、人工的に合成できるアプタマーであれば変異に対応した試薬を迅速に用意できるのです。

医療機関と連携し、デンソーが得意とする産業ロボットなどと組み合わせることで、実証実験を加速させています。
※開発支援:株式会社デンソーウェーブ

今回のバイオセンサーは新型コロナウイルスの検出だけでなく、今後さまざまな場面での利用が見込まれます。例えば、アレルギー検査や癌の検出もそのひとつです。

「人が癌にかかるとバイオマーカーと呼ばれる物質群が放出されます。重症になればなるほどバイオマーカーの量は多いため、バイオマーカーがどれだけ出たかを数値化することで、その人がどれくらい深刻な病気にかかっているかがわかるようになると考えています」(糠塚)

次なる感染症に備えて、レジリエンスを高めていく

インフルエンザやSARSやMERS、そして今回の新型コロナウイルスと、わたしたちはこの数十年で何度も感染症を経験してきました。そして、新型コロナウイルス感染症のパンデミックがいつ終わるのか、そして次の感染症がいつ起こるのかは誰にもわかりません。次なる感染症が現れたときに、また同じようなパニックに陥らないように。より柔軟な感染症対策をできるようにしておくことで、人々のストレスを軽減し、不安から少しでも解放させたい。だれもが安心して暮らせる社会をつくりたい。

もちろん、そうした新しい社会の仕組みをつくるためには、事業に共感してくれる仲間の協力が必要不可欠です。バイオセンサーは今後、試作機開発からパートナーと共同で行い、早期の社会実装を目指しています。社会実装のためには「今後も魅力的な事業構想を描き、共感を集め、仲間をつくり、愚直に技術開発へ取り組み、過去の活動を良く理解したうえで新しいアプローチに挑戦していきたい」 と、ふたりは話します。

社会の様々なシーンで使えるバイオセンサーは、「安心・安全でウェルビーイングな暮らしをつくりたい」というわたしたちのビジョンの実現につながっています。それを夢のままで終わらせないために、わたしたちはこのビジョンに共感し、この技術の早期の社会実装をともに進めてくれる仲間を集めていきます。