第1章 南米市場の開拓
1. NIPPONDENSO REFRIGERACOES LTDA.(NDB)の設立
(2) ボッシュ社との決別
合同調査の結果、フォード・ブラジルは新会社の設立を歓迎し、安くて品質の良い製品ができるなら情報を提供するとのことであった。ブラジルトヨタはさらに協力的で、土地、設備を貸してもいいとの申し出を受けた。しかし、最大手で国産化率がほぼ100%にのぼるフォルクスワーゲン・ブラジル社は、コンプレッサーのみ供給を受けたいとのことであった。
これについてデンソーとボッシュ社の意見が対立した。
ドイツ移民が多いブラジルで17年の歴史を持つフォルクスワーゲンの人気は高く、国民車と言っていいほどの圧倒的シェアを誇っていた。そこで、ボッシュ社はフォルクスワーゲン社の意向通りにコンプレッサーのみでの生産を主張。これに対してデンソーはシステムとしての納入にこだわった。
さらに、調査直前の1973年末に起こった第1次オイルショックを契機にボッシュ社が海外投資を全面的に見直したことで構想は白紙に帰し、デンソーのブラジル戦略は岐路に立たされることになった。社内では以下の三つの点について議論を重ねた。
- デンソー単独で事業を開始するべきか、新たな現地資本の提携先を探すべきか。
- 単独事業の場合は販売に専念すべきか、生産まで踏み込むべきか。
- そもそも、ブラジルでの事業計画をこのまま進めるべきなのか。
検討の末、デンソーは改めてブラジルに進出するという決断を下した。数年前の好況は去り、インフレがブラジル経済を襲った。また、日系カーメーカーはブラジルトヨタだけであった。
しかし、リスクがあっても将来性豊かなブラジル市場を見捨ててはいけないという思いが、デンソーにはあった。