第1章 創業の時代

1. 苦難の船出

1949-

(4)最初の経営方針

1952年
社内が再建に向けてまとまった。しかし、当社はどこに向かって踏み出すのか。経営の方向性が問われていた。林社長は1952年に当社初の「経営方針」を発表し、特に生産の重要性を強く訴えた。
電装時報(1950年12月)
電装時報(1950年12月)

いよいよ本格的に会社としての成長を目指す段階に入った。成長に向けて踏み出すためには、まず全社員の努力を結集し、それを成果に結実させなければならない。

1950年12月、生産担当取締役の白井武明が全役員の意向を代表し、「電装時報」に「まず何をなすべきか」と題した寄稿を行った。

白井は、会社の再建に取り組むわれわれの気構えとして、まず生産力を重視すべきことを強調した。そのためには、あせらず地道で着実な努力を続けることこそが必要なのだと書いた。

深掘り白井武明の寄稿(電装時報)
「復興から再建へと向かいつつあるわが国産業界にあって、その一員としての責務を担うわれわれが成すべきことは、われわれ自身の生産力を世界的水準にまで引き上げていくための努力である。この目標を達成させるために、設備を改善するとか、多量生産向きの設計にしていくとか、機械を自動化していくとか、あれもしたい、これもしたいという考えは、誰しも持っていることと思う。
しかし、こうした改善は一朝一夕に成るものではなく、わが社の実力に応じて徐々に行わざるを得ないものである。従って、いきなり高遠な理想を述べるよりも、今すぐに着手できるところから着手して、徐々にその理想に近づいていくという態度に徹することが当面の課題であろう。
そのために前提条件としてあげておきたいことが三つある。すなわち、①整理整頓、②規律厳守、③作業安定化である。これらを確実に行っていくことが、設備改善による能率増進を受け入れるための前提条件ではないだろうか」

その上で1952年1月、林虎雄社長は今後の「経営方針」を発表した。当社初となる経営方針であった。

その内容は、事務処理、生産管理、品質管理、資材研究など広範囲にわたるものであったが、ここでも特に生産の重要性が強調された。

参照:1952年経営方針の概要

白井取締役、林社長からの相次ぐメッセージは、生産現場における作業者の心構えや考え方を全般的に見直す機会となった。これが経営再建に向け、生産現場の社員の奮起につながっていった。