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2011年、東日本大震災直後の陸前高田市。仮設住宅でバラバラになった住民同士をつなごうと、まだ試作段階のデジタルツールを持ち込んだチームがいました。しかし、被災地の復興が優先され、その取り組みは実証で終わります。
あれから15年──90以上の自治体に広がったデンソーのICTサービス「ライフビジョン」が、福島県への部分導入という形で再び東北の地に「帰還」。その歩みの裏には、現場で人の暮らしに触れ続けてきたチームの意志がありました。
現在では全国90以上の自治体で活用の環が広がるライフビジョン。今回はその推進メンバーから事業責任者である杉山幸一、デザインリーダーの戸田圭亮、開発リーダーの原田和治に集まってもらい、このサービスに取り組む経緯や意義、さらなる価値創出への思いについて聞きました。
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自動車&ライフソリューション部 地域ITサービス事業室杉山 幸一Koichi Sugiyama
1998年にデンソーへ入社。ガソリンエンジン用インジェクタの開発・量産設計・生産技術に従事し、モノづくりの現場で経験を積む。2012年より、自治体向け情報サービス「ライフビジョン」の開発に参画。事業化に向けた本格検討を経て、2014年の立ち上げに携わる。以降、防災や地域交通といった社会課題の解決を軸に事業拡大を推進。現在は地域ITサービス事業室にて、事業全体の統括を担う。
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デザイン部 第2デザイン室戸田 圭亮Keisuke Toda
2015年にデンソーへ入社。自動車のメーターやHead Up Displayなど、車載HMIのデザインに従事し、ユーザーと機械をつなぐインタフェース設計の経験を積む。あわせて、生産現場で使用されるアプリのUIデザインにも携わり、現場視点での使いやすさを追求してきた。現在は「ライフビジョン」をはじめとするアプリ・システムのUIデザインを担当。加えて、社内全体のUI品質向上を目指し、デザインシステムの展開を推進している。
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自動車&ライフソリューション部 地域ITサービス事業室原田 和治Kazuharu Harada
2016年にキャリア採用でデンソーへ入社。前職のSIer(システムインテグレータ)では大手通信事業者向けの大規模基盤システムの開発に従事し、システムアーキテクトの経験を積む。入社後は、その知見を生かし「ライフビジョン」の新規機能開発や基盤強化を推進。現在はシステム開発課長として、開発全体の統括を担っている。
この記事の目次
「よそ者だからわかる」現場を歩いて生まれたサービス
デンソーといえば、エンジン制御、電動化部品、センサーなど、クルマにまつわるモビリティ技術が代表格のように言われますが、その根幹には「人にとって本当に大切なもの」を作るという思いがあります。そのため「DRIVEN BASE」でもAI、ロボティクス、バイオセンサー、データサイエンスなど様々な技術への取り組みを紹介してきました。
今回取り上げる「ライフビジョン」は「地域のくらし情報」や災害情報などを住民に届けると共に、ITを活用した「自治体サービス」を提供するためのICTサービス。これまでにも自治体での導入事例やその意義についてお伝えしてきました。一見、畑違いのように見えるデンソーがこの領域に踏み出したきっかけは、2010年代初頭の社内教育プログラムでした。
社員から自発的に新規事業を提言する場が設けられ、事業責任者の杉山幸一(以下、杉山)が所属していたチームは、ある課題感を持っていました。
「当時、GoogleやAppleが自動運転やクラウドサービスに参入していました。でも、デンソーはまだモノづくり一本。まずは小さくてもいいから、ITを使った新たな事業モデルをつくらないと出遅れてしまう。そんな気持ちで社長へ提案しに行きました」
(杉山)
当時の社長は社内教育だけの企画に留まらず、予算を付け、実際に事業化に向けて動き出すようにと快諾。可能性を探るため、杉山たちのチームは全国の地域を歩き始めます。自動車のIoTサービスや関連ビジネスを模索する中で目にしたのは、驚くほどアナログな地域インフラでした。
回覧板も防災無線も、紙と音の世界のまま。その実態を決定的なものにしたのが、香川県の離島・直島町での体験です。エネルギーマネジメントの実証事業で訪れた際、各家庭に置かれたスピーカーから一日に何度もお知らせが流れ、住民はその都度メモを取っていました。
「たとえば、午後3時になると、みんな一斉に手を止めて耳を澄ますんです。お悔やみの放送が流れるから。この放送システムは録音が3件までしか残せず、聞き逃さないようにメモをするんです。それを見ていて、これはアプリにすべきだと確信しました」
(杉山)
島には、住民全員で葬儀を支え、最後は船でお見送りをする文化があります。だからこそお悔やみ放送は、単なる「お知らせ」を超えた、生活に根ざした重要な情報。「僕らがよそ者だからこそ、島民にとって当たり前になっていた不便さが見えた」と杉山は言います。
こうした「不便さ」を各地で見聞きした結果として生まれたのが、地域の情報をスマートフォンやタブレットを通じて届けるICTサービス「ライフビジョン」です。
サービスの出発点には、もう一つの「忘れられない」原体験があります。2011年の東日本大震災直後、チームは陸前高田市で実証実験を試みました。仮設住宅に離れ離れになった住民同士をつなぐためにデジタルツールを持ち込みましたが、市の優先順位は復興のハード面にあり、導入には至りませんでした。
「役に立てなかった、という悔しさが残りました。でもその経験が、ずっと自分たちの出発点になっています」
(杉山)
あの時に果たせなかったことを、現在の技術でより良く届ける。その思いが、15年後の「福島県への帰還」につながっているのです。
「触ったら壊れる?」──恐怖心を超えるための設計と組織
2014年にサービスを正式スタートさせたライフビジョンですが、最初の数年は年間1〜2件の導入という状況が続きました。先行導入事例の少なさや社内からの懐疑的な視線など、展開のハードルは幾重にもありました。
「なぜデンソーがこのICTサービスに取り組むのか、という声は社内にも社外にもありました」と杉山は振り返ります。打開策として取り組んだのが「百聞は一見にしかず」の実践です。まず、デンソー社内の理解を得るために、当時の新事業担当役員や社員を、実際の現場へ連れていきました。秋田県の山奥では高齢者から「熊が出て不安だ」という声を直接聞き、徳島県の過疎集落では「火を使わずに食べられる冷凍食品の自販機を増やしてほしい」といったニーズを目の当たりにします。
「BtoBビジネスが主軸のデンソー社員がエンドユーザーと直接話す機会は、当時はほとんどありませんでした。現場で生活者の声を実際に聞くのは、参加する役員や社員にとっては非常に新鮮だったようです。体験を経て少しずつ社内にもファンが増えていきました」
(杉山)
しかし、自治体への営業は特に苦労しました。実証実験は受け入れてもらえても、本格導入となると腰が重い。自治体にとっても大切な情報発信だけに、新たなシステムを導入することに対する心理的な壁は想像以上に厚く、この壁を壊すために、杉山は「とにかく誠意を示すしかない」と考えていました。「デンソーは逃げません。だから入れてください」──そのように頼み込んだ先で、一つずつ導入実績が積み上がっていきます。
導入が10件を超えたあたりから実績が伴うことで導入のスピードが高まり、また2017年頃に防災関連の国の財政措置が整備されると、導入は一気に加速しました。この間、製品やサービスの内容も現場の声を糧に進化し続けました。その進化を担ってきた一人が、デザインリーダーの戸田圭亮(以下、戸田)です。
工業デザインへの憧れからデンソーに入社し、産業用ドローンや車載HMI(ヒューマン・マシン・インタフェース)のデザインを手がけてきた戸田が、ライフビジョンで直面したのは「誰でも使える、とは一体どういうことか?」という問いでした。
「高齢者だけでなく、30〜40代の子育て世代も実際には多く使います。通勤バスでiPadを使ってパズルゲームを楽しんでいる60代くらいの方も見かけるほど、リテラシーの幅は想像以上に広い。その全員に届けるためのデザインを、ずっと考えてきました」
(戸田)
たどり着いた答えの一つが「アプリが持つ情報の構造を、誰でも理解しやすい形にする」という設計思想です。よくある公的なアプリは機能が増えて煩雑になりがち。ライフビジョンは情報配信というコアをトップ画面に据え、電子申請などのサービスは別タブに整理する。シンプルな構造の中にも、自治体ごとのゆるキャラや地域カラーをカスタマイズできる余白を持たせ、「自治体の色を前面に押し出せる器」として設計しました。
このアプリのコンセプトは「住民も、まちも、動き出す」。住⺠それぞれのニーズに応じた情報提供に加え、⾃治体職員が無理なく発信を続けられるよう、負担軽減にも配慮した設計を⼼がけています。操作画面の簡略化や明瞭化をはじめ、ユーザー・アプリ開発者・営業担当者など、ライフビジョンに携わる様々な人の意見を反映することで、誰もが見やすくわかりやすいデザインを目指しています。
「完全に他者の視点になりきることはできない。だからこそ、その立場の人から直接意見をもらうことが重要です」
(戸田)
「実際に使えるオペレーションまで」がサービス
プロダクトを内側から支えるのが、開発リーダーの原田和治(以下、原田)です。SIer(システムインテグレーター)出身の原田は、前職で「お客様の要件に沿って正確に作る」ことを役割としてきましたが、事業そのものにより関わりたいという思いからデンソーへの転職を決めました。
原田が入社した当時、ライフビジョンを導入した自治体はわずか2件。スマートフォン版のアプリもまだ開発途中でした。その頃から原田が大切にしてきたのが、現場でユーザーと直接向き合うことです。ご高齢の地域住民がタブレットに触れる様子を見て回る中で、「触ったら壊れる」「変な画面になったらどうしよう」と恐怖心を持つ高齢者が多いことを実感。
タッチパネルは「押す」のではなく「触れて、離す」という感覚が必要で、そこからして伝わらない。そこで、数字を素早くタップするゲームをまず作り、説明会で遊んでもらうことにしました。タップの感覚だけを先に覚えてもらうための工夫です。
こうした地道な積み重ねが、「見た目は真似できても、中身は真似できない」プロダクトの根幹を作ってきました。長押しの誤反応を防ぐ細やかな制御、タップだけで操作が完結するUI、防災分野で現場の声から磨き上げた機能といった、いずれも現場との対話なしには生まれなかった設計が利いています。
「説明会では、タブレットの電源ボタンや充電口の位置を示すシールを貼るなどして、より丁寧な説明ができるように心掛けました。アプリだけでなく、実際に使えるオペレーションまでを一つのサービスとして捉えている点も、ライフビジョンの特徴の一つです」
(原田)
県単位という新たなステージへの挑戦となった福島県における導入では、技術的な難度もさらに跳ね上がりました。福島県内59市町村すべてに影響が及ぶ仕組みを設計する上で、障害発生時の自動復旧やセキュリティの権限制御は、これまで以上に厳密な設計が求められます。この経験で得た階層的な権限設計は、広域連合や複数自治体の共同利用など、より柔軟な展開を可能にする基盤にもなっています。
「県」から「全国」へ。データが拓くライフビジョンの次章
福島県での導入は、ライフビジョンにとって単なる地理的な拡大を意味しません。59市町村の声を束ね、県・市町村・住民という階層構造全体に対応する複雑な仕組みを作り上げた経験は、今後の展開の可能性を大きく広げるものとなりました。
杉山が見据えるのは、情報インフラとしての普及に留まらない次のビジョンです。ライフビジョンを通じて生まれるユーザーとの接点に、地域のオープンデータを組み合わせることで、発展的なビジネスへとつなげていく構想があります。
「たとえば、地域住民の移動のニーズに関する情報は将来の自動運転のサービス設計にも活きてくるはずです。さらに、公共だけでなく民間とも融合できるプラットフォームへと広げていくことが、事業をスケールさせる上での鍵だと考えています」
(杉山)
チームの視点は、製品の開発以外のことにも向いています。原田は「開発だけに閉じない人材の育成」を次の課題として挙げます。技術を理解した上でビジネスを推進できる人材が、営業や導入サポートの領域にも増えることで、事業はさらに成長できるという考えです。
戸田は、アプリとしての進化に意欲を見せます。防災や高齢者向けというイメージを超えて、若い世代が毎日自然に使えるアプリになること。「いつもの生活に溶け込んでいるからこそ、もしもの時にも確実に使える」サービスを目指しています。
社会課題に直接触れている──3人の言葉に共通して流れるのは、その静かな自負です。陸前高田での「役に立てなかった」という悔しさをバネにしたサービスが、15年かけて積み上げてきたのは技術だけではありません。現場の声を聞き、失敗を糧にしながら、地域と共に育ててきたプロダクトと、それを支える人への信頼です。
福島県への「帰還」は決してゴールではありません。地域と技術の関わり方そのものを更新し続けるための、新たな出発点です。
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