未来の移動はどう変わる?UXのプロフェッショナルに聞く「体験価値」の考え方、作り方

「人の感動体験」を起点にしたUX開発とは

「100年に1度の大変革期」を迎えている自動車業界。グローバルで数多くの世界初製品を生み出し、確かな技術力をもつデンソーは「自動車部品を売る会社」から「社会が求める新しい価値を実現する会社」へと進化を遂げようとしている。
同社のソフトウェア開発のキーとなるのが、エンドユーザーの体験的価値を追求すべく2018年に発足したUXイノベーション統括室だ。組織をリードする崔 晋海(チェ・ジンヘ)氏は、これまでに100件以上のUX(ユーザーエクスペリエンス)特許と研究論文の実績を持つ、いわばUXの“プロフェッショナル”。
なぜモビリティにUX開発が必要なのか、UXを通じてどのような社会を実現しようとしているのか——?HEART CATCH代表でプロデューサーの西村真里子氏が聞いた。

  • 崔 晋海(Jinhae Choi)

    海外メーカーにて家電、IT、サービスのUX開発や全社UX経営に従事した後、2018年にデンソーに入社。延世大学大学院(韓国)にてUX専攻兼任教授(2013-2015)、世界3大デザインアワード Red Dot Design AwardのUX部門でグランプリを受賞(2014)した経験を持つ。

  • HEART CATCH / 代表取締役、プロデューサーInterviewer:西村 真里子

    日本アイ・ビー・エムでITエンジニア、アドビシステムズでフィールドマーケティングマネージャーなどを経て2014年にHEART CATCH設立。国内外のテクノロジーを軸に、新しい価値や体験を生み出すコンサルティング・プロデュース事業などを手がけている。

この記事の目次

    人の心を動かすのは「感動体験」

    西村真里子氏(以下、西村):崔さんがリードするデンソーのUXチームでは「感動体験」をベースにしたUX開発を行ってますよね。それはなぜですか?

    崔 晋海氏(以下、崔): 近年、顧客の視点が「利便性やコスト・パフォーマンス」重視から欲求を軸にした「エモーショナル・パフォーマンス」重視になっています。

    UXを考える上で、エンドユーザーが日常生活でどんなことに感動するのか、モビリティでの感動とはどんなものかを追求し続けることがイノベーティブなUX開発につながっていく、というのが我々の思想です。私たちはそれを「KANDO UX」と呼んでいます。そのためには「人間の本質」に対する内面の理解と洞察が必要なのです。

    西村:「人の感動」に起点を置くとはとても興味深いです。研究内容や開発手法も気になります。

    崔: 体験価値を語るには、 ユーザーの価値観の他、 感動への願望(Aspiration)とそれに必要な体験の構造(Structure)を理解する必要があります。

    そのため、従来の問題解決型に加えてデンソーUX独自の手法である「KANDO UX」で人の内面まで理解し、コンセプトにつなげています。

    私たちは「エンドユーザーの潜在要素」にどれだけ共感できるかを最重要視しているのです。

    西村:人の内面を重視したUX開発を通じて、見えてきたことは何ですか?

    崔: 「KANDO UX」の研究はグローバルで行っていますが、「感動の瞬間は人それぞれ」ということを改めて実感しています。以前に“人は車の自動運転中にどんな体験ができれば感動するのか”に対して、日本と中国で調査研究を行いました。その結果、日本人が求めたのは「寝たい」「休みたい」など休息にまつわること。一方、中国人は「WeChatをしたい」「ゲームをしたい」などアクティブな行動に対する欲求が強いことが分かりました。

    国や文化単位でみてもこれだけ感動につながるファクターに差があるので、当然開発時のコンセプトも個々に寄り添って設定する必要があります。

    西村:なるほど。一人ひとりの感動を追求するとパーソナライズ化が必須になるのも自然な流れですね。

    崔: そうですね。加えて「ユーザーが求める内容は経年変化する」ことも忘れてはいけません。そのために私が大切にしているのは「継続的に」「徹底的に」エンドユーザーを研究し続けることです。

    先ほどの調査は約1年半前のもので、今同じ調査をしても結果は変わるでしょう。特にコロナ禍を経て、人々の状況や移動に求める価値も大きく変わっていくため「継続的」な研究は必須です。

    また、エンドユーザーはムービングターゲットなので、社会や環境の変化によって動いていることを念頭に置きつつ、さらにその先の未来を見据えながら「徹底的に」UXの研究を続けています。

    人生を変えた、ある転換点とは?

    西村:世の中がUXを重要視し始めたのはここ数年で、崔さんはそのずっと前からUXを研究し続けてきましたよね。UXに情熱を燃やすトリガーは何だったのでしょうか?

    崔: 私のUXへの関心は、学生時代にインターフェースデザインや人間工学を学んだことから始まりました。消費者が「コト」を消費し始め、デザインの役割が工業製品において大きく変わり始めたころで、見栄えのよいデザインを追求するより「そのデザインを心地よいと感じた背景」に興味を持つようになりました。

    また、当時から私が惹かれているのが人間研究のタイムレスな考え方です。今でも人間工学の研究で参考にするバイブルは、1950年代のものなのです。例えば人の手のひらの大きさや視野は今も昔もほぼ変わらないですよね。これだけ技術は進化してきましたが、人間の本質やベースの部分は変わらないものもあるのです。UXは「合理的な説得力」が必要な分野で、本質の部分が普遍的・永続的である点も魅力に感じています。

    西村:デンソー入社前は海外の家電メーカーでIT機器やサービスのUX開発をされていたとのことですが、ターニングポイントはありますか?

    崔: ディスプレイのインターフェース設計が大きな転換点だったように思います。いろいろなタッチ操作やジェスチャーで消費活動を行う環境になると、それまでとはかなり違った認知領域が必要になります。

    そこで、フレームワーク設計だけでなく「マルチモーダルインタラクション」というジェスチャーと音声の組み合わせや行動、姿勢などを複合的に組み合わせた技術を開発したことが、モビリティ産業に興味を持ったターニングポイントです。「モノを売る」から「サービスを売る」へと転換が進んでいる自動車業界で、これからますますUX開発がキーになると未知の可能性を感じてデンソーに入社しました。

    聞き手を務めたHEART CATCH代表でプロデューサーの西村真里子氏。

    「移動体験」は未来の社会でどんな価値をもたらすか

    西村:デンソーに入り立ち上げたのが、冒頭のUX開発の専門部隊「UXイノベーション統括室(UX Innovation Center)」ということですね。どんな組織ですか?

    崔: 組織のミッションとして「デンソーと世界のモビリティをUXでリードする」ことを掲げています。この組織では、デンソーのUX戦略の立案や我々の顧客である自動車メーカーとの共同企画や先行開発活動を行っていて、現在はドライバーとの接点として重要なコックピットシステムを中心にUX開発をしています。ヘッドオフィスは日本橋にありますが、ミシガンやロサンゼルス、本社(愛知県刈谷市)にも拠点があります。

    また、UX開発にはさまざまな専門知識が必要で、チームメンバーのバックグラウンドも多岐に渡ります。私のようにデザインサイエンス専攻の人もいれば、工業デザイン、インタラクションデザイン、認知科学を専攻していた人、ソフトウェアエンジニア、情報システムやビッグデータ、物理学に精通している人や文系のメンバーも所属していますね。

    デンソーUXの指針と規範を策定し、組織内にUXの考え方を共有している。

    西村:多様なメンバーが所属しているんですね。開発プロセスで注力しているのはどんなことでしょう。

    崔: ものづくりのプロセスは、企画に始まり設計、生産、品質管理…と各専門部署が担っていくことが多いですが、UXは最初の企画段階から最後にエンドユーザーに届くまで一貫して関わる職だと思っています。 そのためデンソーは、上流から量産まで貫く「UXベースの開発プロセス」を事業部の規定として導入しています。

    また、ローンチ後のフィードバックも重要で、次の設計に反映してブラッシュアップする仕組みを作っていかないと、良いUX開発はできないのでそこも注力しています。

    西村:UXの研究は終わりがなく、磨き続けることが大事だと。今後はどんなことを見据えていますか?

    崔: 先ほどパーソナライズの話が出ましたが、今チームで興味を持っているのが「超個人化」です。人の習慣や行動のビックデータと車の運転環境を感知した情報を組み合わせてその人に合った設計を行うイメージです。

    例えば、これは車の設計の難しい部分なのですが、運転席のインターフェースは「ながら操作」かつ「常に変化する状況」が前提なんです。ハンドルを握りながら窓を空ける、バックミラーを見ながらレバーを引く、さらに道路状況の変化や前後左右の障害物…。そういったものをひっくるめて個々人の感動体験につなげる研究を進めています。

    また、いかにユーザーに「安全」ではなく「安心」を与えられるかも重要です。それは私たちデンソーだけで実現できることではありません。各自動車メーカーやスマートシティとの連携や共創を積極的に行い、ユーザーに寄り添った新たな価値を提供していきたいと考えています。

    西村:では最後に、モビリティの未来とUX開発にかける思いを教えてください。

    崔: 自動車業界の仕事は、1つのプロジェクトが5年スパンなど中長期的な視座が必要で、そこが前職の家電やIT機器の開発とは異なるところです。
    短期的な動きや流行ばかりを注視すると開発の方向性を見誤ることになります。そこで、KANDO UXのような人間の本質についての研究をクロスさせることで、深い洞察が生まれるのです。

    今ロンドンを始めEUの大都市では、環境問題への対応もあり都市をまるごと歩行者空間にしようとしています。そうなったときに、ユーザーとしては「車に乗る」こと自体が特別な経験になります。車や移動の概念は社会の変化とともに変わっていく。その中でデンソーの総合力を武器に、特別なUXをどうつくっていくかで勝負したいと思っています。

    そしてこれからも、移動の体験が未来の社会や環境問題に対してどんな意味を持つのかを追求し続けていきます。

    転載元:BUSINESS INSIDER JAPAN

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