未来の移動をエンドユーザー目線で創造する!UXデザインをシステム化する試み

デンソーのUX Principleと、その指針に沿ったUX評価システムとは

デンソーでは2018年よりモビリティにおけるUX(User eXperience:ユーザーの経験)ベースの開発プロセスの変革が進められている。UXベースで開発を行うとは、はたしてどういうことなのか?UX Principleの策定や日常生活のビッグデータ化といった取り組みを行っている、崔晋海氏と小林太郎氏、棚橋愛理氏に聞いた。

  • UXイノベーション統括室崔 晋海

    海外メーカーにて家電・IT・サービスのUX開発や全社UX経営に従事した後、2018年にデンソーに入社。2014年に世界3大デザインアワード Red Dot Design AwardのUX部門でグランプリを受賞し、2015年にはACM CHI※でUX専門委員としての経験を持つ。現在は、同社モビリティエレクトロニクス事業グループで、顧客の体験を起点にした企画活動を推進し、顧客(OEM)とのUX共創に取り込んでいる。

    ※ACM(Association for Computing Machinery)が主催する、CHI(Conference on Human Factors in Computing Systems:人と情報システムの相互作用に関する国際会議)というカンファレンス

  • UXイノベーション統括室小林 太郎

    2020年にデンソー入社。IT企業にて地図アプリ、SNSアプリ、電子決済アプリの企画からUX開発まで担当してきた。現在は、デンソーのUXプリンシプルの策定や、顧客(メーカー)とのUX共創活動を行っている。

  • UXイノベーション統括室棚橋 愛理

    2017年にデンソー入社。新製品展示会にて女性のニーズに特化したコックピットの企画活動をリードし、顧客(メーカー)とのUX共創活動を行ってきた。現在はユーザーの体験価値を理解するため、評価ができるスマートフォン用アプリの開発を担当している。

この記事の目次

    モビリティ開発に”UX Principle”という指針を与える

    今、あらゆる業界のプロダクトがUXを競い合っています。前回の記事で、デンソーは崔晋海氏のもとUXイノベーション統括室を2018年に設置していると紹介がありました。まずその背景から教えてください。

    崔:昨今モビリティ業界ではDXが話題になっていますが、すこし範囲を広げてみると、他の業界ではユーザーのエクスペリエンスを革新したサービスが話題になっています。これらのサービスは既に十数年前からユーザーのデータをデジタル化してソフトウェアの強みを活かしながら革新し続け、今ではインダストリー全般に影響を及ぼしています。当然モビリティ業界も影響されて、我々は今、高くなったユーザーの期待を満たす課題に直面しています。

    とは言え、クルマに外部のサービスを繋げることで解決できることではありません。UX(ユーザーエクスペリエンス)とは、ユーザーの文化的背景、価値観、行動パターン、今までの習熟度など起因する要素らが複合的に作用しながら完遂されますが、モビリティのUXは、ここに「移動」と言う変数を融合して、さらにサービスを含んで「エクスペリエンス(経験)」を構想する必要があります。これらの背景からエンドユーザー志向の考え方、すなわち「UXベースの企画と開発」がデンソーにも必要になってくるという時代のなかで設置されました。

    もちろんこのような動きは、自動車メーカーも同様で、車両企画フェーズからUXを優先して検討したり、欧米のメーカーはRFI(情報提供フェーズ)からサプライヤーにUXの取り組みの提出を要求したりしています。

    デンソーの強みである領域と、これから力をつけていく必要がある領域は、どのようなものだと考えていますか?

    崔:高い技術力や開発力そして強固なサプライチェーンを構築して運営する組織力は、デンソーの強みだと思います。さらに産業の変化や自動車メーカーの動きに対して組織のフォーメーションを素早く整える能力も強みだと思います。

    しかし、決まったことについては間違いなく実行する一方で、今まで歩んだことのない道を開拓していく点は、これからより一層強化していく必要があると思います。今後益々、安心・安全な社会を実現することが求められていくと思いますが、安全性能を高めるだけではその製品はいずれコモディティー化してしまうでしょう。あるクルマに搭載される製品の安全性能を高めるだけでなく、例えばモビリティを買い替えても生涯を通じて安心してモビリティライフを楽しんでもらうためにはどうすればよいかといった視点で我々が提供すべき価値を捉え直すことで、一人ひとりのユーザーにとって最適化されたUXを提供することができます。

    このような仕組みづくりは、ユーザーがデンソーのエクスペリエンス構造から離れることなく、継続的な購買にまで繋げることができると思います。この様にモビリティを長期的な「トータルエクスペリエンスとして構想」することでデンソー独自の付加価値の高い差別化戦略を立案していくことが、我々に求められると思います。

    UXイノベーション統括室はモビリティエレクトロニクスの事業グループと連携しているということですが、これはプロダクトの企画段階からUXを意識したモノづくりを行うということでしょうか?

    崔:そうですね。当初UX室はコックピット事業部で立ち上げました。ドライバーや乗員の接点はコックピットでは間違いありませんが、前述のようにUXは多様な要因が混じりながらユーザーに認知され体験価値として完遂されます。そのためUXの領域はプロダクトだけではなく、実現するソフトウェアやクラウド、サードパーティーのサービスまで含むことも加味し、現在はモビリティエレクトロニクスの事業グループを横断する組織としての位置付けになっています。

    今年はUXをベースにした中長期課題である「UXマスタープラン」を立案・実行しました。この活動は企画段階からエクスペリエンスの繋がりと発展性を意識することと、開発や量産の段階でもその基準を顧客目線で執行することができるようになることを目指し、事業グループの全員にウェビナー形式で実施しています。

    現在UXイノベーション統括室が進めている具体的な取り組みはどのようなものでしょうか?

    崔:デンソーの未来をUXベースで築くための企画・開発活動と、 OEM(完成車メーカー)と一緒に共創しながらUXを開発する2つに分けられます。その中でも今回は前者の活動を紹介したいと思います。デンソーの中でUXベースの企画・開発を推進するためには、異なる製品を手掛ける開発者全員が同じ方向を向くための「UX Principle」が必要だと考え、モビリティ領域で必要なエクスペリエンスの指針を定義しました。これらの指針に基づき、UX戦略立案、方向性、ソリューション検討ができるよう開発者と運用を進めています。

    UX Principleを起点したプロセスと顧客の感動要素がUXの根幹となる
    UX Principleを起点したプロセスと顧客の感動要素がUXの根幹となる

    小林:UX Principleでは、「Perceptibility(正しく知り、判断することを助けよ)」、「Intuitive information(自然なふるまいを妨げることなかれ)」、「Contextual experience(所作の意味に沿った体験を提供せよ)」、「Personalization(個々の状態にとって最適な体験を仕立てるべし)」、「Peace of Mind(安心して委ねられる信頼感を提供せよ)」、「Green(人生を豊かにすることに貢献せよ)」という6つの指針を掲げています。これらの指針に基づいたUXを実現するため、文字やアイコンのサイズ、応答時間や結果表示時間などについても数値化し、UXを指標化することにも取り組んでいます。

    例えば、モビリティにおいて読みやすい文字サイズを数値化する場合、ドライバーとデバイスの視距離を条件として考慮する必要があります。また、メーター・センターディスプレイそしてヘッドアップディスプレイといった、デバイスごとに指標を変える必要もあります。UXを指標化するには、最終的には機能単体の数値だけではなく、ユーザーが体験するシーンや価値を含めた数値化が必要になります。機能単体の品質向上も大事ですが、それを使用した時のユーザーの価値を指標化することが重要です。

    私たちは視距離、デバイス、画面解像度を条件として加え、更に移動中にユーザーがどう感じるかを含めて研究を続けています。例えば走行中と、停車中に見やすいサイズを定義するため、異なるサイズサンプルをユーザーに提示し、推奨値、最小値を算出しています。実験結果に基づき、視距離や画面解像度によって推奨値が自動算出されるプログラムを作成し、社内のガイドラインとして運用しています。

    これらのUX Principleやガイドラインの考え方は、「D-EXPERIENCE DESIGN SYSTEM」としてインターネット上に公開しています。

    策定したUX Principleの事例。環境・安心の提供価値を最大化するための顧客の体験と技術をつなぐ構成になっている。
    策定したUX Principleの事例。環境・安心の提供価値を最大化するための顧客の体験と技術をつなぐ構成になっている。
    社内開発向けにガイドライン化されている事例
    社内開発向けにガイドライン化されている事例

    人々の日常生活をビッグデータ化し開発に活かす

    「ユーザーがどう感じるか」を指標化する取り組みというのは、どのようなものでしょうか?

    崔:モビリティのUXを考えるためには、移動中の速度や景色、交通状態など様々な事象をトータルで捉える必要がありますし、それらの事象を踏まえ「ユーザーがどう感じるか」「その理由は何なのか」をエンジニア自身が理解して設計する必要があります。また、点在するVoE(Voice of Employee)やVoC(Voice of Customer)を把握して設計に反映することも必要です。これらを実現するために、UX開発に必要な様々なデータを収集できるスマートフォンアプリの開発を行っています。このアプリにより、エンジニアが効率良くUXを開発に反映できるようになり、UXの水準を定量的に把握することが可能になります。

    UXデータ収集アプリを使うユーザーは、どのような人たちですか?

    棚橋:将来的には一般ユーザーにも使っていただきたいと考えていますが、まずはデンソー社内のエンジニアが対象です。エンジニアあるいはUX室のメンバーが有識者として評価対象をアプリで撮影・登録し、メーター、音声インターフェース、車載エージェント、購入後のサービス、などのジャンルを選択します。そして、UX Principleの6つの指針に沿った評価をスライドバーで簡単に行うことができます。

    入力された結果は性別や年齢で分析できるので、例えば「20代の女性がどういった色に見やすさを感じているのか」「50代の男性がどのような体験に煩わしさを感じるのか」など、UXに対するファンダメンタルな要素を抽出することができます。

    また、さまざまな社会問題に対して「どう解決すべきか」という話題がよく出てきますが、このアプリでは交通事故や環境問題などの課題を投稿し、アプリに集約することができます。解決策をデータドリブンで行えるようになると見込んでいます。

    ユーザーは対象プロダクトの画像を撮影し、スケールを使って評価を入力していく
    ユーザーは対象プロダクトの画像を撮影し、スケールを使って評価を入力していく
    アプリは、評価結果が「UX達成率」として算出できる他、アイデアも収集することができる
    アプリは、評価結果が「UX達成率」として算出できる他、アイデアも収集することができる

    現在のアプリはユーザーがプロダクトを撮影して評価するようですが、将来的にはユーザーの感覚などをそのまま取り入れることも可能になるのでしょうか?

    棚橋:車内にいるユーザーの表情や心拍を取得することはデンソーの技術で可能ですが、それをUX視点でどのようにアプリに取り込むのかは、次の課題として議論しています。現在開発中のアプリはユーザーがアンケート形式で答えるものですが、次のステップとしてはユーザーの生体信号をデータ化し、UX開発に活かしていきたいです。

    崔:評価の結果も大事ですが、評価中の人間の反応が分かると精度の高い分析が可能となります。例えば、アプリで評価をする際に、スマートウォッチで心拍や汗の流れを測定することです。ただ動的な状況ではノイズ処理が難しいので静的な状況での研究から始めています。ユーザーがクルマの内装を見たときに、脳の反応をfMRI(functional Magnetic Resonance Imaging:磁気共鳴機能画像法)で測定して安心感・高級感・先進感などは脳のどこで反応するかを明らかにした研究です。分解は組み立ての逆順なので人間のアナログデーターをデジタル化することにより、思い通りのUXを設計に反映することができます。

    UXの評価をビッグデータ化するということでしたが、これはどういう体制で進めていくのでしょうか?

    崔:これまでもUXイノベーション統括室では、外部会社の協力を得ながら、グローバルなユーザーを対象に数千人規模のリサーチを数多く実施してきました。しかしそのデータは、短編的には入手できますが、他のリサーチデータとの繋がりや継続性がなく、ノウハウとして社内に蓄積できていないという課題がありました。

    UX評価アプリであればUXの評価だけでなく、数千人を対象にしたアンケートを実施することや、アイデアを集約することもできます。UXに関するデータをすべて統合して製品開発に活かしていきたいと考えています。

    そのためにも、UXイノベーション統括室でもデータ分析のスキルを持った人材を養成・採用しながら、アプリの運用を進めていく予定です。

    UXデザインがシステム化された先には

    UX評価アプリからのデータは、どのように製品開発に取り入れられていくのでしょうか?

    崔:これまでのHMIは、機能を使いこなせるように順番を決めることや操作の効率化が主な目的でした。HMIを担当するエンジニアは人間工学の知見をベースに設計に取り込んできたと思います。しかし今後のモビリティに要求される個々人の要望に対応し、かつ継続的に発展させていくためには、人間工学の知見に加えてユーザーからの真の情報が必要になってきます。このアプリで全てを解決することはできませんが、まずは第一歩として、ユーザーが直接UXを評価した結果を集めて、「良く評価したUX」と「悪く評価したUX」を蓄積します。これらのデータから「良く評価されたUX」に寄せることができます。現在も先行開発や量産開発のフェーズで取り込んでいます。

    棚橋:このように、アナログ情報であるエクスペリエンスを〝デジタル化″できるツールを運用していくと、企画者からエンジニアまで「自分たちがつくっているモノをエンドユーザーがどう感じるのか」を意識することができます。そのような意識を、社内のマインドセットとして定着させていきたいと思っています。

    現在、量産開発中のエンジニアにこのアプリを使っていただいていますが、製品開発に取り入れるにはさまざまな改善事項もあることが分かってきました。課題を一つひとつクリアし、本当の意味での「UXベースのモノづくり」を実現していきたいです。

    今後、UXデザインの方法論はどう変化していくのでしょうか?

    小林:これからのUXデザインは「ユーザーはこう体験する」といったことがデジタル化され、そのノウハウを活かしてモノづくりを行うようになると思います。これまでのプロダクトは、デザイナーが模索しながらデザインを描き、その主観に基づいて開発が進められることが多かったと思います。UXデザインについても、ここ10年くらいは毎回プロダクトごとにゼロからシナリオをつくって試行錯誤しながら進められてきたわけですが、そういう状況が変わりつつあります。

    例えば現在のウェブサービスやアプリのデザインでは、デザイナーがゼロからアイコンをデザインするのではなく、アセット化されたアイコンやボタン類を活用しながら開発が進むことも多くなっています。UXデザインについても同じように、優れたUXデザイナーのノウハウが形式化され、技術者がそれらを活用しながら開発が進むようになっていくと思います。

    崔:最近プロダクトデザインでも、今までの学習や工学的なパラメータを解釈して自動的にデザインの候補を出力してくれますし、ジェネレーティブデザインが導入されて、デザイナーの役割が変わりつつありますが、商品を購入したユーザーが、商品を買い替えるまでそのデザインを使い続けることは不変です。UXデザイン(特に画面)の場合は、販売後でもGUI(Graphical User Interface)要素からOSバージョンアップによる新機能の追加まで、継続的なOver The Air (OTA)、つまり無線経由での更新があるのでデザイナーが対応する必要があり、UXデザイナーは、GUI・UIツールを使いこなすスキルの他にも、販売後でもエンドユーザーの使用状況を追跡・研究して、改善させる方法論が必要になります。

    モビリティの差別化ポイントは、エクスペリエンスになっていくと?

    崔:我々の差別化ポイントは、デンソーの優れた安心・安全技術とユーザーの潜在した体験価値を把握し融合したデンソー独自のトータルエクスペリエンスを提供することで、競合優位のイノベーションを起こすことだと思っています。UXイノベーション統括室では、グローバルで、ユーザーの潜在ニーズを定期的に調査していますが、最近はクルマの電動化や自動運転技術などにより、モビリティへの期待が幅広く高まっています。この様な顧客を理解するリサーチ活動と、それらを開発に繋げるUXデザインシステムを実行していきたいと思います。

    棚橋:デンソーがモビリティ領域のUXに関する知見をビックデータ化できれば、モビリティ以外の分野でもその需要が高まる可能性があります。現在の我々のUXの取り組みを、将来のデンソーの新しいビジネスモデルに繋げることにもチャレンジしたいと思っています。

    人間のデザイナーは要らなくなっていくのでしょうか?

    小林:デザイナーが要らなくなることはありませんが、役割は多様化していくでしょう。
    私はIT企業で地図アプリ、SNSアプリ、電子決済アプリの企画からUX開発までを担当してきました。この経験から、デザイナーの役割が多様化していることを肌身で感じていますし、多様化することでそれぞれの専門性が高まっていることを感じます。

    HOW(どのようにつくるか)を形にすることが得意なデザイナーもいれば、WHY(なぜつくるか)の答えを出すことに長けているデザイナーもいます。更にはWHAT(何をつくるのか)をゼロから生み出すことができるデザイナーもいます。今後はHOWのシステム化に加え、WHYとWHATのデザインがシステム化され、「その先に何が必要か」を問われる時代がやってくるはずです。

    崔:ルネサンス時代の、レオナルド・ダ・ヴィンチは、哲学者でありながら同時に発明家・科学者・医者そして彫刻家など職業が十数個あったと言われます。今で言うと「トータルエクスペリエンス」を実現できるUX人材ですよね。しかし、現在の高等教育では、専門分野が細かく分かれて自分の領域以外はどうしてもサイロ化しています。その弱点を解決するのも人間の力なので、要らなくなることは無いと思います。

    小林:そういう意味では多様化するデザインの領域において、それぞれの専門性が高まることに加え、統合的なスキルも求められてくるでしょう。UXの研究開発では、人間を根源的に理解することが不可欠です。そのためには、デザインのスキルだけでなく、認知心理学や行動経済学などの知識を開発に生かせる人材が必要になってくるのだと思います。

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