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いとう ふたば伊藤 ふたば
岩手県出身。小学校3年生でクライミングを始め、ユース時代にボルダリングで全日本、アジア、世界の全タイトルを獲得。2017年、ボルダリング・ジャパンカップを史上最年少の14歳9カ月で制覇。18年にデンソー岩手とスポンサー契約を結び、23年からは所属契約に。現在、ワールドカップなどで活躍中。
スポーツクライミングで第一線を走り続けるデンソー岩手の伊藤 ふたば。東京五輪出場への道が閉ざされる苦難を乗り越え、心身共に成長し続けています。競技人生最大の目標に位置づけるのは、2024年夏のパリ五輪。地元岩手で才能を開花させた少女時代を振り返りながら、五輪予選シリーズ(OQS)に向けた意気込みを語ります。
この記事の目次
クライミングとの運命の出会い。父のシューズを見て心躍らせる
──伊藤さんの幼少期の話から聞かせてください。どんなお子さんでしたか。
体を動かすのが大好きで、兄と一緒に公園で遊ぶなど走り回っていましたね。やはり高いところが大好きで、木登りをしていたほか、家の中ではタンスにまでよじ登っていました(笑)。
──わんぱくですね(笑)。クライミングを始めたきっかけは?
小学校3年生の時、クライミングが趣味だった父が家の庭で専用シューズを手入れしているのを見て、目を奪われたんです。ゴムでできていて、普段よく見かける靴とは違うし、足にフィットするような感じがして。そのシューズからクライミングのことを知って、登ってみたいと思ったんですよね。そして、近所で行われたクライミングの体験会に連れていってもらったのがきっかけで始めました。
──高いところに登るのは怖くなかったですか?
それが全然、怖くなくて。最初、トップロープという初心者用の高さ15メートルほどの壁を登ったんですが、高いところにたどり着くのがすごく楽しくて、爽快でした。
それから、小学生向けのスクールで他の子たちと一緒に練習するようになって、無我夢中で登っていましたね。徐々に難しいルートにトライして、最初は落ちてしまうこともありましたが、「こうしたらいいかな、ああしたらいいかな」と考えながら挑んで成功すると大きな達成感があって、思わず「やったー!」と声が出るくらいうれしかったんです。
──のめり込んでいったのですね。地元の岩手はクライミングが盛んなのですか。
そうですね。岩手での国民体育大会開催(2016年)に向けて施設が整備されましたし、私がボルダリング・ジャパンカップや世界ユース選手権で優勝したことが追い風となって、東京五輪に向けてスピード種目の設備が造られて。その流れで、クライミングが身近になってきているんじゃないかなって思います。
──その後、2018年にはデンソー岩手とスポンサー契約を結ぶことに。ますます注目が高まったのではないでしょうか?
当時、私は高校1年生だったのですが、支援が本当にありがたく、感謝の気持ちでいっぱいでした。岩手県でワールドカップ(W杯)が開催された時には、伊藤 秀一社長をはじめ従業員の皆さんが応援に駆けつけてくれたり、社内に私の応援コーナーを設けて大会の結果や記事、そして私の大きなポスターまで掲げてくれたりしているんです。
──皆さんからの応援、心強いですね。
はい!同じ故郷の皆さんの応援は本当に心強いです。2023年には、スポンサー契約から所属契約になったことでよりいっそう地元の方々の応援をエネルギーに変えて、明るいニュースを届けたいと思っています。
ライバルが躍動する東京五輪。「私もこの舞台に立ちたかった」
──東京五輪は、不本意な形で出場への道が絶たれてしまいましたが、振り返ってみていかがですか?
私自身の成績がどうこうではなく、(五輪出場基準をめぐる日本協会と国際連盟との)裁判の結果、出場がかなわなくなってしまったことは、言葉では言い表せないぐらいの悔しさと、悲しさと……。いろんな感情が入り交じりました。
やっぱり、五輪の舞台に立ちたかった。
私はこれまでずっとクライミングという競技が大好きで、ただただ、ひたすら強くなりたいという思いでした。でも、あの時初めて、行き場のない気持ちが募って、競技をする気力やモチベーションがなくなり、もう一度競技に向けて気持ちをつくるのに苦労しました。
でもそんな時、(クライミングで東京オリンピック銅メダリストの)野口 啓代(あきよ)選手と電話で話す機会があり、「必ずパリ・オリンピックをめざしてね」と言ってもらえたんです。幼いころから憧れてきた選手からのひと言は胸に熱く響き、もう一度、自分の競技力を見直し、鍛えていこうと意識がシフトしました。
ひたすら登り込む。持久力を高め、リードでもW杯決勝へ
──パリ五輪をめざして、2023年秋にはアジア大陸予選(ボルダー&リード)に挑みましたね。
絶対にオリンピック行きを決めるぞという強い気持ちで臨み、準決勝はトップ通過しました。ただ決勝では僅差で3位に終わり、優勝者に与えられるオリンピックへの切符は得られず。自分自身にかなりプレッシャーをかけて追い込んでいたので、終わった瞬間は肩の力が抜けるというか、少し放心してしまった感じで。この大会で決めたかったです。
──見えた課題はありましたか。
大きなプレッシャーがかかる中でしたが、パフォーマンス自体は悪くはなくて、本当にあと一歩でした。ただ、ボルダーとリードの両種目でちょっとしたムーブ(身のこなし方やテクニック)の選択ミスがあり、詰めの甘さがあったかなと。そのあたり、これからトレーニングによって根本的な実力を上げていくことで、克服していきたいと思っています。
まだ1枠、日本女子選手のパリ行きのチャンスは残されています。2024年6月に行われるOQS第2戦に向けて、気持ちを新たにしているところですね。
──その一方で、自分の成長を実感する点も多いのでは。
もともとボルダーが得意なのですが、最近ではリードでも手応えを感じていますね。これまでリードでW杯の決勝に進んだことがなかったのですが、2023年の最終戦では進出を果たしましたし、必要な持久力もついてきているんじゃないかと。持久力を高めるために、普段の練習では登る回数を増やして、ひたすら登り込んでいます。
支えてくれるすべての人に恩返しを。競技人生を懸け、狙うパリ五輪切符
──今あらためて、競技の魅力をどう感じていますか。
登りきった時の達成感が大きいのはもちろんですが、選手それぞれに登り方が違うのもおもしろいところです。ひとつの課題でも登り方は選手によって異なるので、登る様子をじっくり見てみると楽しいですよ。
──伊藤さんの強みを教えてください。
私は競技する上で特別何かに秀でているわけではなく、苦手なことが少ないのが強みかも。どんな動き、テクニックもまんべんなくできます。身長は161センチで、世界の選手の中では決して高くはありませんが、腕のリーチをしっかり使い、距離を出すことができるので、身体が大きくダイナミックに見えるって言われることが多いですね。
──万能型ですね。伊藤さんにとって、クライミングとはどういうものですか。
自分の人生にはなくてはならない存在です。
これほど夢中になって打ち込めるものって、他にないんですよね。そういうスポーツに出会えたことを、とても幸せに思っています。競技から離れている時でも、道端で岩を目にすると「あそこ、登れそうだな」って思っちゃう(笑)。それぐらい、好きです。
──6月にはOQS第2戦が行われます。いよいよですね。
パリ・オリンピックは私にとって、競技人生最大の目標です。第2戦が行われるブダペストでしっかりと結果を残し、パリの切符をつかんで、そして本番でメダルを取る。そう誓って、今年に懸けています。
皆さんが日頃サポート、応援してくれているという事実が、大きな心の支えになっています。そのすべての人たちのためにも、オリンピックに出て、恩返しをしていきたいですね。
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