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農作物が生産地から私たちの食卓に届くまで、食のバリューチェーンに関わるさまざまな人々に支えられていますが、どうすればより持続可能な食の未来をつくれるのでしょうか?
例えば、より少ない人数で、効率的に農作物の生産が可能になること。その土地の気候に左右されずに、たとえ農業に適さない場所でも農地として活用できること。食の豊かさを維持していくためには、このような視点が必要になってくるかもしれません。
デンソーでは、就農人口不足と食糧危機といった社会課題を前にして、自動車領域で培った技術とノウハウによる「農場の工場化」に取り組んできました。
なかでも、農作物の「収穫」を取り巻く課題に注目。オランダを拠点とするデンソーのグループ会社であるセルトンとともに、欧州市場に向けて“房取りミニトマトの全自動収穫ロボット”の販売を開始しました。今回は、農業における人手不足の深刻化という課題を解決するための挑戦をご紹介します。
この記事の目次
「農場の工場化」で、食の安定生産を
世界的な人口増加に伴う食の需要増加に対応するため、持続可能な食料生産にはさまざまな課題が存在します。
まずは、気候変動や異常気象の深刻化により農業生産が不安定になっていることです。
農林水産省が発表している資料によれば、平均気温が上昇することでの穀物の収量増減や、畜産や養殖業における疾病の発生、漁獲量への影響などが指摘されています。また、気候変動に伴う干ばつや洪水、暴風雨などの異常気象により農作物が被害を受けるケースなども存在します。
例えば、日本国内においても、将来的な平均気温の上昇によるコメの品質の低下や、ぶどう等の栽培適地が変化することが見込まれています。
もうひとつの課題として挙げられるのが、農業従事者の高齢化や不安定な収入、厳しい労働環境といった理由による就農人口の減少です。
農林水産省による2019年の資料では、世界人口は2050年には86.43億人に達し、食料需要量は現在の1.7倍となるという予測が報告されています。その一方で、米国や欧州、日本における農業労働力は減少傾向にあります。
こうした世界的な課題に対して、天候や地理の影響を受けない栽培環境の確立や、就農人口の減少を補うような自動化や省人化がいま求められています。
持続可能な農業生産を実現する「房取りミニトマト全自動収穫ロボット」
デンソーは「2030年長期方針」で農業を注力分野の一つとして位置づけ、 FVC(フードバリューチェーン)事業推進部では、自動車分野で培ってきた技術とノウハウを生かした食の安定供給・安全確保の実現に向けて取り組んでいます。
バリューチェーンの起点となる「生産」領域において、世界中で「いつでも、 どこでも、だれでも」持続可能な農業生産を実現するための取り組みを始め、今回最初に市場に投入されたのが、房取りミニトマトを対象とした全自動収穫ロボット「Artemy(アーテミー)」です。
同製品は、オランダに拠点を置き、世界20ヶ国以上に大規模施設園芸ソリューションを展開するグループ会社であるセルトンとの共同開発によって生まれ、まずは欧州市場を対象として2024年5月に受注開始しました。
なぜ房取りミニトマトを対象に、欧州市場からアプローチしていくのか。それは欧州の大規模施設園芸が置かれた状況に起因しています。欧州は大規模施設園芸のグローバル全体市場において66%を占める最大市場であり、欧州の最大作物はトマトです。また、トマトの収穫のうち約6割が房取りトマトであり、ハウス内の全作業時間に占める収穫の作業時間は約3割と最大を占めており、収穫作業の効率化が求められているのです。
それでは、Artemyはどのようにして房取りミニトマトの収穫作業を効率化するのでしょうか。
まず、Artemyは走行レーン(ハウス内に設置されている温湯管)を自動走行します。また、周辺監視技術を活用し、通路内の障害物と移動先のレーンを認識して、安全かつ正確に自動でレーンチェンジを行います。
収穫では、カメラで撮影した画像をAIで判断し、ミニトマトの熟度を判定します。判定によって房が成熟していることがわかれば、収穫用ロボットアームの先端に取り付けられたハサミを用いてミニトマトの果柄を切断し、積載している収穫箱に収納します。
収穫した房で箱が満載になった時には、収穫箱を自動で入れ替える機能もあります。Artemyは収穫箱を6つ積載しており、それらが全て満載になった際には、空の収穫箱が置いてある台車まで自動で移動して満載の箱と空の箱を自動で入れ替えます。
さらに、房と果柄を検出するためのLEDを搭載することで、昼間の直射日光や夜間の栽培用補光といった、カメラがトマトを認識しにくい環境下でも収穫精度を向上しています。バッテリーは充電時のロスがない交換式のものを採用しています。
このような一連の機能によりArtemyが収穫にもたらすインパクトを、FVC事業部 の浜島幸一は次のように語ります。
「Artemyは、単なる収穫の自動化だけでなく、収穫における収穫箱の交換やハサミ消毒などの一連作業を全自動化しております。また、人とは違い昼夜問わず20時間以上の連続稼働が可能です。Artemy導入により、収穫作業者の約4割が削減可能になると見込んでおり、移民規制や人手不足に直面する欧州の農業課題の解決に貢献できると考えています」(浜島)
デンソー×セルトンの密な連携による、顧客に向き合った製品設計
Artemyの開発・販売において、デンソーは主に製品開発を担当し、セルトンは欧州市場における顧客ニーズの収集や営業、サービス導入支援を担当しています。
2024年5月の受注開始に至るまで、両社で密に連携しながら製品開発を進めてきましたが、その過程ではさまざまな試行錯誤がありました。
もともと、Artemyの原型となったのは、三重県の株式会社浅井農園と協力した日本最大級のトマト工場「AgriD(以下、アグリッド)」において、プロトタイプ機として導入していた実証機です。野菜栽培の生産性向上を実現する技術の開発・実証に取り組むなか、セルトンの経営陣がアグリッドを訪れた際に「一刻も早くこの技術を欧州に導入すべきだ」と要望を頂いたことが、開発のきっかけとなりました。受注開始に至るまでの経緯を、 FVC事業部の小林華鶴は次のように語ります。
「2020年3月末に、デンソーがセルトンに出資をして連携が始まりましたが、リモートでのプロジェクト推進には多くの課題がありました。そこで、Artemyの技術担当者をセルトンに派遣、また、セルトンの技術者も長期出張でArtemyの製品開発プロセス、アフターサービス対応を学ぶなど、人的交流を通じて、開発はよりスムーズに進んでいきました」(小林)
Artemyの製品に両社の強みはどのように生きているのでしょうか。「農場の工場化」を目指し、さまざまなプロジェクトを展開してきたデンソーのさまざまな技術やノウハウが導入されています。
トマトは工業用製品と異なり、品種や生産者(生産方法)、時期によって大きさ、かたち、生育速度、向きなどが異なります。そのため、収穫の自動化において考慮すべきことが非常に広範かつ流動的という課題がありました。その際、デンソーが自動車領域で培った技術やノウハウが生きてきた、とFVC事業部 ソフトウェア開発エンジニアの石川隼士は話します。
「Artemyの開発において、例えばトマトの判別システムであれば歩行者や対向車、設置物など、クルマが外界を認識するために必要な画像認識技術を活用したADAS(高度運転支援システム)の設計・品質管理のプロセスを流用しています。
ほかにも、不定形の農作物を収穫するためのロボットアームは、デンソーウェーブが開発する産業用ロボットアームの、障害物を回避してアームの軌道を決定する「アーム軌道生成技術」をもとに開発しています。
人の安全を確保してレーンの自動走行/レーンチェンジを行うために、AGV(無人搬送機)の自律走行における安全設計のノウハウも生きており、デンソーのさまざまな部署で開発が進んできた技術の集大成ともいえる製品です」(石川)
また、製品の仕様策定においては、セルトンの存在も欠かせませんでした。欧州市場で顧客と相対しているからこそ、セルトンは顧客のさまざまな課題やニーズを収集できます。そうした顧客の声を踏まえて、自動レーンチェンジや収穫箱の自動移載などは仕様に反映されることになりました。
「農業を通じて、『いつでも、どこでも、だれでも』安定生産ができる世界をつくっていきたい。この思いはデンソーとセルトンに共通していたものです。こうして両者の強みが重なり合うことで、その実現につながっていったんです」(小林)
「こだわり」と「割り切り」のバランスで短期間での開発を実現
デンソーとセルトン、両者の強みが生きているものの、製品化に至るまでのプロセスは決して順風満帆なものではありませんでした。
いくつかの課題に直面したうちのひとつが、部品供給や部品調達の難しさ。新型コロナ禍でのパンデミックに伴う世界各国のロックダウンにより、あらゆる分野の生産が縮小し、素材や部品の供給が途絶えてしまった時期がありました。パンデミック収束後も、国内に大規模半導体製造工場が新たに設立され、Artemyで使用したいと考えていた部品がそちらに使用されることで、部品がなかなか手に入らないという状況にも直面しました。
二つ目の課題が、EU(欧州連合)への製品輸出におけるCE認証*を取得すること。欧州市場で製品を販売するためには、電気・電子機器に含まれる特定有害物質の使用を制限するRoHS指令や、有害性が懸念される化学物質の含有総量の届出を義務化したREACH規則など、EUの法規制に対応することが求められます。Artemyの部品点数は約2,000点にものぼり、多くの協業メーカーが開発に関わります。それらの企業に、環境負荷物質の使用に関するエビデンスを共有してもらう必要があったのです。
「量産が近づいたタイミングで、規制に部品が対応していないことが判明したり、エビデンスの共有を行わない方針、あるいはこれまでの経験がないパートナーもいました。そうしたパートナーに対しては理解していただくための提案・説明を続け、法規制対応のための教育も含めた対応をしていただきました。しかし、対応が困難な部品もあり、結果的に他部品に切り替える事態も起こるなかで、なんとか量産化まで進んでいきました」(稲田)
こうした課題に直面しながらも、Artemyは、開発・量産化の方針が決定した2022年1月の製品企画会議から、約2年半で商用販売にこぎつけることができました。2,000点を超える部品からなるArtemyの製品化を短期間で実現できた背景には、各社のつながりや技術・ノウハウだけでなく、開発の仕組みの変革に踏み出したことも挙げられます。
「さまざまな条件によって仕様を変え、迅速に改善を進める必要があるなかで、年間に何百万台もの自動車を生産するための既存の『自動車部品の開発ルール』に沿っていくと、長いスパンの開発になり、開発費も膨大なものになってしまいます。そのため、品質管理部なども巻き込んで社内のルールにも働きかけながら柔軟に仕組みを変えていきました」(西野)
その際、品質や安全に対するデンソーの「こだわり」を守りつつ、「割り切り」とのバランスを考え抜いた設計を心がけました。
「割り切りの最たる例が、バッテリーを交換式の構造にしたことです。消耗が激しいバッテリーなどは、すべてを内製部品にするのではなく、すでに市場に存在する高品質な部品で定期的に交換する設計を採用したんです」(西田)
ほかにも、デンソー・セルトン間での密な連携によるアジャイル開発や、デンソー社内から農業分野の設計経験があるメンバーや、車載部品やロボットの開発に携わってきたさまざまなバックグラウンドのメンバーが集ったことも、短期開発を支えた大きな一因でした。
Artemyは製品を販売して終わりではありません。バッテリーを交換式にしたように、顧客と継続的な接点を持ちながらサポート体制を充実させることが求められます。そうしたアフターサービスにおいては、製品を熟知したセルトン専任のサービスマンが、車の車検のように、顧客が購入した製品の定期点検を行い、24時間365日体制での修理・部品供給を行います。
デンソーは、ユーザーが日常的に簡単に点検・交換を行うための設計を担い、マニュアルやツール提供による支援や、兆候を含めた異常の早期把握・共有・究明、そして修理を日本・オランダでスムーズに実施するための体制構築を進めていく予定です。
「収穫」を起点に、農業生産のさまざまな課題にアプローチ
製品の受注開始はスタート地点に過ぎず、今後の販売戦略や市場拡大を通じて、農業を取り巻く課題の解決をより加速させなければなりません。
オランダで実績をつくったのちに、その他の大規模施設園芸事業者へ横展開し、欧州市場におけるエリア拡大を見据えています。またデンソーとセルトンが接点を持たない生産者に対しては、セルトンの武器である農業ハウスとのパッケージ販売をしながら、各国・各地域の顧客に訴求していきたいと考えています。
「欧州市場に続き、今後労働力不足が顕著で且つ労働賃金が高い北米・豪州市場にもアプローチしていく構想を描いています。また、房取りミニトマトを対象として開発してきましたが、培った知見をもとに幅広い農作物の収穫にも対応していく予定です。さらに、ロボットの画像認識から得られるデータを活用し、病害虫予測、収量予測などのソリューションビジネスにつなげていくことも視野に入れています。Artemyが『収穫』の自動化支援で農業生産者のハウス内に入ることで、生産者が抱えるより多様な課題を把握し、新たなソリューションを通じて、それらの課題対応に切り込んでいけると考えています」(小林)
また、浜島はそうした一連の拡大戦略を踏まえて、Artemyの開発を通じて実現したい未来を次のようにも語ります。
「開発を始めたころは1割にも満たない収穫成功率で、開発の過程で欧州市場のニーズを取り込んだ全自動化を目指した機能追加や性能アップなどによる設計の見直しの紆余曲折がありましたが、ようやく自信を持ってお客様に満足して使っていただける製品の量産化にたどり着けました。しかし、まだスタートラインに立ったに過ぎません。
今後は、収穫だけでなく葉掻きや誘引といった他作業にも生かせるロボット開発をして、二の矢、三の矢を世に放って農業の工場化を成し遂げ、より豊かな世界を実現していきたい。
自動収穫ロボットは、まだまだこれから社会に認知・浸透させていくフェーズではありますが、このArtemyをきっかけに業界を大きく変えていく、そんな製品になると信じております」(浜島)
「できてない」 を 「できる」に。
知と人が集まる場所。