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FVC事業推進部田村 裕志
1984年デンソー入社。大型バスエアコンの設計・開発を経て、2011年に新規事業を創出する部署に異動し、食・流通分野を担当。コールドチェーン関係では中国・インドネシア・トルコなど各地の事業探索を経験。現在は農業ハウス全体システムの製品化・開発に従事。
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FVC事業推進部細江 肖吉
1997年に入社し、デンソー企業内短大にてソフトウェア開発を専攻。配属後は車両エンジン用ECUのソフトウェア開発を担当。2015年から現FVC事業推進部に異動し、統合環境制御装置「プロファーム コントローラー」や、強制換気型農業ハウス「プロファーム T-キューブ」・生産統合管理システム、そしてAGV走行管理システムなどのソフトウェア開発に従事。
昨今、グローバルな気候変動により、従来通りの農業生産が難しくなってきている。この社会課題を解決するために、農作物を安定して栽培する技術が求められているのは確かだ。デンソーは、モビリティ製品で培ってきた空調技術を活かし、強制換気機能を備えた天窓のない「半密閉型の農業ハウス」を開発。天窓による自然任せの換気の代わりに妻面(壁面)に設置された大型換気ファンによる自動制御のアクティブ換気で、気候に左右されにくく安定的かつ再現性の高い農作物の栽培を可能にしている。ここではソフトウェア技術による農業ハウスの進化が始まっているのだ。
この記事の目次
モビリティと農業ハウス、共通点は「空調」
モビリティ製品を製造・販売するデンソーが農業ハウスを手がけるというのはずいぶん畑違いに感じるのですが、なぜ農業ハウスなのでしょう?何か共通点があるのでしょうか?
田村: デンソーは将来を見据え2011年から新規事業探索に取り組んできました。その1つが「食」です。人が生活する上で「食」は必要不可欠ですよね。「食料を生産し、世界中の人々に届ける」そうした普遍的な社会ニーズに対して、デンソーとしてフードバリューチェーンの一翼を担うことができないか?と考えたわけです。
その中でも特に「食料生産」、すなわち農作物を作る=「農業」分野でデンソーのノウハウを活かすことを考えました。
私は空調関係の事業部の出身であり、商用車エアコン(主に大型観光バスなど)の設計・開発を担当していたこともあり、まず注目したのが「空調」です。作物にとって重要な栽培環境を総合的に整えることはできないか? 温度・湿度・さらにはCO2濃度を調整することができないか?など検討しました。モビリティだと、カーエアコンは「人」が快適に感じる空間をつくることができります。それを「作物」に置き換えれば、農業ハウスの大空間を「作物」にとって最適な環境にする「環境制御装置」をつくることも可能だと発想し、まずは農業ハウス用の環境制御装置を手がけることにしました。
「農家」と一口にいっても規模やニーズは千差万別だと思いますが、どういうお客さまや農作物をターゲットにしたのですか?
田村: 中・小規模の農家の方々です。背景として、1ヘクタール超の大規模農業施設では既に自動化も進むなか、10年ほど前は中・小規模の農家ではなかなか手が届かないという声が多くあったからです。そのような農家の方々にお話を伺ってみると、自動化が出来ればからだを休めたいとか、もっと効率的に作業を進めたいということでした。
農業分野の先進国であるオランダ製の環境制御装置は、大規模な農業施設用に設計されており、非常に高価な装置です。大規模ではない中・小規模の農家にとっては、制御・操作も非常に複雑で扱いづらく、導入が難しい製品であることもわかりました。そこでデンソーは、中・小規模の農家向けに装置の価格を抑え、誰でも使いやすい製品を開発・提供することで、日本の農作業の自動化及び将来を見据えた農業の進化に貢献できると考えました。
まず我々は、トマトの生産に活用できる環境制御装置の開発から始めることにしました。イチゴ・メロンなど価格が高い果物の方が有利だと思われるかもしれませんが、これらは年間を通じて栽培するのは容易ではありません。また、施設園芸というカテゴリーで見ても環境制御装置を導入しているハウスの約80%がトマト栽培という状況もあり、周年栽培が可能で安定して市場需要があるトマト栽培に注目したわけです。
しかし、デンソーには農作物の生産ノウハウがないですよね。
田村: 実は調査をしてみると日本国内における施設園芸が盛んな地域は、デンソー本社から近い愛知県豊橋市であることがわかりました。そのため、豊橋に所在する種苗会社に農作物栽培に必要な要件などを教えていただきながら、環境制御装置のハードウェア・ソフトウェアの開発に着手しました。
そして作物が成長する上で欠かせない光合成において、「最適な光合成」を実現するために、葉に当たる日射量が重要といったノウハウを、環境制御装置の制御ソフトに反映していきました。
こうして研究・開発を重ねて2015年に製品化したのが、環境制御装置「プロファーム(Profarm@)コントローラー」です。ハウス内と屋外に設置された各種センサーの検出値から、農業ハウスの天窓・側窓やカーテン、そして暖房機・ヒートポンプ・CO₂発生機やミスト装置・循環扇などを栽培環境が最適になるように制御を行います。
環境制御装置の次に取り組んだのが、「ハウス全体で気流をデザイン」した強制換気機構を備えた農業ハウス「プロファーム T-キューブ®」です。
なぜ農業ハウスに強制換気機能を付けることになったのですか?
田村: 従来の農業ハウスは、屋根に換気のための天窓が多く並んでいます。夏場に温度を下げたい時、換気をするために天窓を開けるのですが、風速や風向きによってはうまく換気ができず、思ったようにハウス内の温度が下がりません。自然の風の流れに任せることになり、つまり「風まかせ」のシステムだったのです。
それに対して、アクティブに気流を作るために大型換気ファンを妻面(壁面)に配置することは、ハウス内にいつでも最適な気流がつくることができると考えました。それを達成すれば天窓もなくすことができるので、高所の開閉機構も不要になり、雨漏りの心配や防虫ネットの高所作業メンテナンスなども必要なくなるので、良いことが多くあります。
実際、私たちが農業ハウスモデルで気流解析を行ったところ、天窓がなくてもハウス妻面(壁面)の大型換気ファンを最適稼働させることで、ハウス内に気流を創生して全体換気ができることがわかりました。様々な換気方式のハウスは存在しますが、「天窓なし」かつ「換気ファンのみ」でハウス内環境制御ができる農業ハウスを作ったのは、デンソーが初の試みだったと思います。
プロファーム T-キューブで使われている大型換気ファンはどのようなものなのですか?
田村: 大きさとしては、間口8m・軒高3.5mそして長さ50mの農業ハウス1つ当たりの妻面(壁面)に、直径1mの大型換気ファンが3基装備されているものです。プロファーム T-キューブの大型換気ファンは3つ合わせれば約77,000㎥/hの大風量でハウス栽培空間の空気を動かします。大型換気ファンは、温度・湿度センサーからの検出値で最適稼働個数を制御しています。
モビリティと農業における開発の違い
環境制御装置の開発の流れは、モビリティ製品の開発と似ていましたか?
細江: 農業と工業ではある点に大きな違いがあり、苦労しました。
どのような点が違ったのでしょうか?
細江: 農業ハウスは、農家のニーズに合わせて1つ1つのサイズや形状が異なるということです。そうなると、ハウス内環境もハウスごとに異なってしまいます。
これに対して、工業ではモノの標準化という考え方が非常に重要です。ある標準を決め、それに合わせて仕様をつくることで、製品の形状・品質を安定させて大量生産が可能になります。さらに、ある製品のデータをベースに別の製品へ流用することも可能です。
そこで最初に取り組んだのが、農業ハウスの「可視化」と「標準化」です。
まず研究・開発用の自社所有の農業ハウス内に、温度・湿度・CO₂・日射・風速そして水分など、各種センサーを数多く設置。特に温湿度センサーについては、ハウス内を9分割し、高さも3段階に設定して計27組ものセンサーを設定しました。これにより大型換気ファンなどの機器を動かした時に、温度や湿度などハウス内環境がどのように変化するのか「可視化」していきました。
次にこの計測結果に基づいて、各種機器・センサー類などをその設置位置を含めてすべて「標準化」することで、プロファーム T-キューブが様々な地域に普及しても同じハウス内環境に整えられるよう、制御しようと試みました。
ハウス内環境を安定化させて、生産性を向上
収穫量に与える影響はいかがでしょうか?
田村: 農作物の収穫量は、天候や発生する病気・害虫などにも左右されるため、一概に定量値では表現できないのですが、アクティブに気流をつくれることは収穫量を上げやすい環境に繋がっています。たとえばトマト栽培の失敗要因のひとつに、風通しが悪く湿度が溜まりやすい環境下での病害虫の繁殖などがあります。しかし強制換気方式によってアクティブに風通しを改善することで、そうした環境をつくりにくくすることに貢献していると考えています。さらに、ハウス全体の温度均一な環境と光合成促進に有利な風が常時流れているので、収穫量を上げやすい良好な環境作りができていると思います。
その他、ハウス構造面での利点はありますか?
その他には、従来の天窓付き農業ハウスは、天窓を開閉するための機構がついているのですが、プロファーム T-キューブにはそれら機構がないため、日光を遮らないことから日射量が約4%アップします。日射量増加は光合成の基本ですので、収穫量アップが期待できます。
細江: プロファーム T-キューブでは、強制換気のほかにもミストを発生させる機能が備わっています。ミスト発生装置の一般的な利用方法としては、湿度調整に伴う作物の気孔状態の管理ですが、プロファームT-キューブでは気流と組み合わせて利用することで気化熱を奪うことが出来ます。これによりハウス内温度を下げることができるため、暑さ指数(WBGT)も下がり、農家の方たちが働きやすい環境づくりにも寄与しています。
田村: 実際に、開発に協力していただいた農家の方々は、「夏場でもハウス内温度が安定していて作業しやすいし、収穫量も多い」とおっしゃっていました。また、「害虫の発生が少ないようだ」という声もあり、栽培環境が良くなっている実感をもっていただいています。
プロファーム T-キューブの構成や利点など教えてもらえますか?
田村: プロファーム T-キューブの構成上の利点は、従来の農業ハウスが注文に応じて構成内容を決めていくオーダーメイド方式であったことに対して、機能・性能を標準仕様として設定したことです。面積の拡大はニーズに応じた棟数の調整で実現しながら「標準化」の考え方を取り入れて開発したことで、ハウス建設の検討初期段階で悩むことなく仕様が決められる農業ハウスをつくることができました。
今後、プロファーム T-キューブをどのように展開していくのでしょう?
田村: 中・小規模の農業ハウスにはT-キューブハウスを訴求・拡大していきたいと考えています。これまでの天窓付き農業ハウスでは十分な換気ができず、農作物の栽培に不適だった熱暑地域などでも強制換気機能でハウス栽培ができるようになるかもしれません。日本国内だけでなく、アジアなどの中・小規模ハウスが主流の地域ニーズに応えたいです。
温度・湿度環境を整えるためには、なるべくハードウェアを追加・変更することなく、地域のニーズに対応して最適に制御できる、進化する栽培ハウスを目指していきたいと思います。
ソフトウェアによって進化する農業ハウスというわけですね。
田村: 栽培する地域も異なり、栽培する作物・品種も異なりますが、いつでも・どこでも最適な栽培ができるハウスで、栽培が失敗し難いハウスを目指すことで、農家の方々に喜んでいただけると考えています。既存のハードウェアを活かしソフトウェアに作物生育に適した栽培環境の情報を入れ込み機能を向上していくイメージが、これからのビジネスにおいて重要な仕組みだと思います。
農業ハウスという異分野を手がけて、いかがでしたか?
田村: トマト栽培では、水を少なくしたり、夜間に温度を一時的に下げたりといった方法で、果実に糖分を回して甘いトマトをつくります。また、農業ハウスは受粉のために蜂が飛んでいます。このようなことも、農業関係の仕事をするようになって知りました。異分野を知ると「ここにあの技術が活かせそうだ」という発想も生まれます。まだまだ実現できることも数多くありそうで、奥深いと思っています。
夢が膨らみますね。
細江: プロファーム T-キューブのほかにも、デンソーでは大規模スマート農場などの実証実験を行っていますが、これまで培って来た技術やノウハウを活かして、農業分野でも貢献できることがたくさんあると感じています。実際に、トマトの農業用自動収穫機の導入実証なども実施していますので、農業に工業を組み合わせることはお客さまに喜んでいただける技術として、提供余地はまだあると思います。
デンソーの公式WEBサイトでは、他にもさまざまな農業に関する情報が掲載されています。
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