第3章 南米事業拡大期

1. サーマルビジネスの拡大

(5) マニェティ・マレッリ・デンソーの操業と南米での相互補完

1996年11月 建屋・設備設置完了
1996年11月 建屋・設備設置完了

1996年の年初に購入したマニェティ・マレッリ・デンソーの工場は敷地面積6万2,000㎡、建築面積5,000㎡。ペプシコ社がコーラのボトリングを行っていた工場を改築したもので、組み立てラインは日本から、そのほかの機械設備の多くはイタリアから導入された。
エアクリーナなど7品目の部品を現地生産するにあたっては、所定の現調率および輸出入のバランスを取れば域内関税がゼロになるメルコスールを活用して、デンソー・ブラジルからコンプレッサーとコンデンサーを輸入し、アルゼンチンからはヒーターを輸出するという、エアコン構成部品の相互補完体制を構築した。
大須賀社長は現地で採用した人事部長と2人で120人の従業員の採用活動を開始した。アルゼンチンで2番目の都市であるコルドバ市は、首都ブエノスアイレスから約700kmの内陸部にあり、人口は120万人。ドイツ系メーカーが多く進出し、地域の工業化が進んでいたため労働者は技能に優れている。また、総合大学が2校あり技術者の確保にも期待が持てた。
日系人を雇ってほしいという日本人会の要望が日本大使館を通じて伝えられたが、大須賀は「ここはアルゼンチンの会社なので、アルゼンチンの人種の構成比に沿って従業員を採用します」と回答した。アルゼンチンはブラジルよりもはるかに日系人が少なく、人口の0.1%に過ぎない。日系人の採用はごく少数にとどめるというのである。
大須賀はデンソー本社からの技術支援を断り、金型づくりから製造ラインの据え付けまで、すべてを現地従業員に任せた。支援を受ければ現地従業員の技術力が伸びないとの考えによるもので、試作品はデンソー本社の技術者から最終的に「良い」との評価を得た。

マニェティ・マレッリ・デンソー開所式(MM社ボルドーネ社長)
マニェティ・マレッリ・デンソー開所式(MM社ボルドーネ社長)
マニェティ・マレッリ・デンソー開所式(本社太田副会長、マニェティ・マレッリ・デンソー大須賀社長)
マニェティ・マレッリ・デンソー開所式(本社太田副会長、マニェティ・マレッリ・デンソー大須賀社長)

1997年3月、マニェティ・マレッリ・デンソーは工場の操業を開始し、4月に開所式を行った。アルゼンチン政府関係者らの来賓を招き、デンソーからは太田和宏副会長、合弁相手MMCL社からはマンフレッド・ニコレリ社長、マニェティ・マレッリ社(MM社)からはドメニコ・ボルドーネ社長が出席した。
その後、デンソーがMMCL社を買収し、マニェティ・マレッリ・デンソーは2002年に社名をDENSO MANUFACTURING ARGENTINA S.A.(DNAR)に変更、現在に至っている。