2011年3月11日、東日本大震災が発生。
未曾有の被災状況を目の当たりにし、デンソーはすぐさま動いた。
当時の加藤宣明社長のメッセージの下
3日後には福島県にあるデンソー建屋を避難所として提供し、
被災者に生活必需品を配った。
総勢700人を超える社員を石巻へ派遣し
現地での瓦礫撤去や泥出し作業を行なった。
それらの支援と同時に、顧客のラインを止めないよう、
各部門での奮闘もあったという。
デンソーの仕入先も約370工場が被災した。
特に被害が大きかったのが、
マイコンやカーナビ用システムLSIを担う
ルネサスエレクトロニクス(以下ルネサス)那珂工場。
生産ラインの復旧には、半年かかると予想されていた。
自動車業界、家電業界へのダメージは計り知れない。
特に中小企業の体力を考えると、半年も待つことは難しい。
一刻も早い復旧を目指し現地に派遣されたデンソー社員は、
予想を超える被害を目の当たりにした。
屋根の上のダクトは破損し、クリーンルームに外気や雨が侵入。
ダクト内で粉末化した薬品が水滴と混ざり、やけどの危険もあった。
そんな中、半年の復旧予定を約1ヶ月に短縮することが決まり、
安全とスピードの両立が求められた。
空調設備の復旧チームを率いていたデンソー社員は、
現地に駆けつけた空調会社6社に呼びかけた。
「工期は死守する。
そして絶対に
一人もけがをさせない」
各社のやるべきこと、進行状況を張り出し、3時間ごとに報告会が行われ、
遅れが出たら他の会社で調整・カバーした。
薬品の知識は、約300人の作業者全員に周知徹底し、互いの安全を守りあった。
「うちの10人は働きづめなので休ませてほしい」という会社があれば、
「明日ならうちから20人追加できる」と助ける会社がある。
ひとつの目的のため仲間が手を取り合い、
協力する様子は、まさにONE TEAMだった。
安全かつスムーズな工事体制を整えた結果、
震災からわずか42日後の4月23日、ラインのテストランがスタート。
その際に作られたファーストロットは、<絆>と名付けられた。
「デンソーさんのおかげです。
もし今後なにかあったら、
我々があなたたちを支援します」
ルネサス社員の感謝も、並々ならぬものだった。
震災後の対応を振り返ると、現地に飛んだ社員はもちろん、
あらゆる部署が協力し、未曾有の災害が残した爪痕に、果敢に立ち向かった。
心を合わせ、
各々がやるべきことに全力を尽くせば
チームの力で、大きな壁も乗り越えられる。