DRIVEN BASE

未来は予測できなくても、備えることならできる

ー及川卓也が語る、IT業界の変化の歴史 Part1ー

2019年3月8日
株式会社デンソー 技術顧問 及川卓也

株式会社デンソーは、ミートアップイベント「DENSO Tech Links Tokyo #1」を2019年2月6日に初開催しました。今回のテーマは「モビリティ社会の未来」。イベントでは、ソフトウェアとハードウェアという2つの領域から見たモビリティ社会の実像について、同社の技術顧問である及川卓也が基調講演を行いました。その講演を3回に分けてお届けします。

将来を予測するために最善な方法は、それを作ってしまうこと

及川卓也:みなさんこんばんは。及川卓也と申します。デンソーの技術顧問を去年の1月から務めさせていただいております。フルタイムではないんですけれども、今はいろんな領域でデンソーのお手伝いをさせていただいております。

私はIT業界で30年以上勤めている人間ですので、コンピュータ科学や情報科学の歴史といったところから、今後のモビリティを考える材料となるようなお話をさせていただければと思っております。

基本的に未来の話をするわけですけれども、未来予測ってめちゃくちゃ難しいわけですね。有名な言葉があります。ご存知の方もいらっしゃると思うんですけれども。

「将来を予測するために一番最善な方法というのは、それを作ってしまうことだ」と。これはパーソナルコンピュータの父と言われているアラン・ケイの言葉です。これができれば苦労しないわけですけれども、残念ながら多くの人はアラン・ケイほどの天才ではないわけです。

将来は予測できなくても、それに備えることはできる

GitHubというMicrosoftが買収したソフトウェアのリポジトリを持っている会社があります。サンフランシスコにある、こじんまりとしたアットホームな感じの会社なんですけれども、去年の10月にそこで企業向けのイベントをやりまして。私も参加させていただきました。

彼らは「defining the future of software」と言っているんですね。senior vice presidentのジェイソン・ワーナーが去年日本に来たとき、私は対談させていただいたんですけれども、そのとき彼が言っていた言葉のほうがしっくりくるんじゃないかなと思いました。

(スライドを指して)英語で書かれていますが「誰も将来を予測することはできない。だけど我々はそれに備えることはできるはずである」と。

ここにもしソフトウェア技術者の方がいるならわかると思うんですが、技術者やエンジニアというのは、将来に起き得るようないろんな障害などを予測し、それに備えていくということが仕事なわけですね。そうすることによって、障害が起きたときにもすぐにリカバーできる。もしくは障害に対してシステムがダウンしないようにできると。

なので、「未来を予測する」と言われたら「ちょっと、凡人には難しいな」と思うかもしれないけれども、ソフトウェア技術者の役割として、いろんなケースを想定してそれに備えるということはやるべきであると。

“CASE”が普及した世界でなにが起こるか

じゃあ、この“将来”ってどういうものだろうって考えてみると、まさに今は変革の時代なんですね。

私はデンソーのお手伝いをするまで、自動車に関してはひとりのユーザーにすぎなかったんですけれども、実際にデンソーの仕事をするようになってからは、いろんなことが見えてきました。

(スライドを指して)このCASEという言葉は、最近一般的にもなったのでご存知の方もいらっしゃると思うんですけど。私は正直、素人だったので最初はよくわからなかったんですね。なにかと言いますと、ここに書かれているとおり、Connected、Autonomous、Sharing、EV(の頭文字です)。

Connectedとは、クラウドとかネットワークとつながっていくということ。Autonomousは、自動運転ですね。Sharingは、所有から共有になっていくということ。例えばUberのような、そういったサービスが想定されると思います。最後のEVというのは電気自動車そのものですね。そういったものを活用して、サービスとしてのモビリティというものを考えていく流れになっているわけです。

このCASEと言われているものが、実際に世の中に普及するとなにが起きるか。

(スライドを指して)これは、去年の3月期のデンソーの売上なんですがデンソーというのはいわゆる自動車部品メーカー、つまりサプライヤーなわけですね。売上の98パーセントくらいは、自動車部品から収益を上げています。

EV化が進んでいった場合、自動車の部品点数は3分の1になるって言われているんですね。

15年に1度、主役の交代が起こるコンピュータの世界

一方で世の中のニーズとしては、「サービスとしての移動」と言われているものを求める人たちがたくさんいます。そうすると今までの、ハードウェアであるクルマに部品を提供するだけではなく、将来モビリティがサービス化したところに対してサプライヤーとして、デンソーはなにをするべきかを考えなければいけない。経営者の視点に立ってみると、それをやらなかったなら会社の将来が危うくなると。そういった時代になっているわけです。

まさに「100年に1度の変革が自動車産業に起きている」と言われるわけです。では我々……少なくとも私がずっといたコンピュータ業界やIT業界は、どういった時代だったかなというのをふり返ってみます。

(スライドを指して)これは私が社会人になるちょっと前からの図で、40年近く前のコンピュータの歴史です。細かくは説明しませんが、大昔はIBMさんが圧倒的に強くて、メインフレームがあってそこで給与計算とかをやります、という世界でした。そういったメインフレームと言われている大型機は使いにくい面がありましたから、研究者などが使いやすくしようということで、ミニコンピュータやワークステーションと言われている対話型で、科学技術計算ができるようになりました。

さらにそれが小型化し、パーソナルコンピュータの世界になりました。オフィスには、みなさんの机の上にパソコンが1台あります。部門コンピュータというのがあったときには、そこでファイル共有が行われ、次はWebの時代で、今はクラウドになりました。さらには、スマートフォンが出てきましたね。今はAIとIoTの時代です。

自動車業界では100年に1度くらいの主役交代が、コンピュータの世界では15年に1回くらいのペースで起きているんですね。例えば先ほど言ったIBMさんというのは、いまだに業界でしっかりがんばっていらっしゃる会社ですが、看板は一緒だけどやってることはぜんぜん違うんですね。そうでないと生き残れないような変革が、非常に頻繁に起きている。それがコンピュータ業界であると。

30年前に一番早かったコンピュータと、手元のAndroidを比べてみると?

コンピュータ業界と同じような変革がいろんな業界に起きていて、その1つが自動車業界だと言われるようになってきています。

なぜコンピュータ業界はスピードが速いのかというのは、いろんな言い方があるんですけれども。例えば“Dog Year”という言い方をされているとか、Intelのゴードン・ムーアが言っている“ムーアの法則”というものもあります。これは、18ヶ月に1度のペースで集積度数が2倍になっていくという法則です。まさにこれが、変化のスピードを表していると言えると思います。

一例としては、80年代に世界で一番速いと言われたスーパーコンピュータの「CRAY-1」というものがあります。Googleの本社があるマウンテンビューのすぐとなりに、コンピュータ歴史博物館の「Computer History Museum」というのがあるんですね。

(スライドを指して)知らない人が見るとソファみたいなんですよ。しかも受付のすぐ近くにあるから、待ってる人がそこに座ったりするんですけど。「おいおい、それは昔は何十億もしたすごいコンピュータなんだよ!」って言いたくなるわけです(笑)。

LINPACKっていうベンチマークがあって、これは大昔から使われているんですけれども、今のAndroidのスマートフォンがどのくらいのパフォーマンスが出せているのかを見てみると、4878っていうスコアを出します。これって先ほどの「CRAY-1」よりも、みなさんの手のひらにあるデバイスのほうが、30倍以上速い。このように技術革新が速いのが、コンピュータ業界であるということなんです。

パソコンこそが破壊的イノベーションの産物

もう1つ大事なのが、それぞれの主役交代が起きたとき、その事実がどう思われていたかという話なんですね。例えばメインフレームから見ると、ミニコンやワークステーションは確かに対話型で使いやすいかもしれないけど、コンピュータのパワーはそれで十分ですか? 社員の給与計算が、こんなにちっちゃいマシンでできますか? 

わかりやすいのはパソコンなんですね。一番最初は8ビット、次に16ビット、そしてやっと32ビットになりました。最初はホビーストが使うようなものでしかなかったときに、会社の重要なミッションクリティカルなものが動かせるようになってますか? 

ワクワクするようなものであったけれども、これは所詮素人の使うものだ、ホビーストが使うものだと言われていたものが、実はその後世の中の中心となって動いていくということが起きるわけです。

Webもまったく一緒です。まさかブラウザの中でMicrosoftのOffice製品と同じようなことができるとは。発想はありましたが、ぜんぜん技術が追いついていなかったということがあったんです。結果としては、最初はおもちゃだと思われていたものが、その後どんどん置き変わっていったということが起きているわけです。

これはいろんなマーケティングや経営の理論から考えてみると、クリステンセンが言っている“イノベーションのジレンマ”の、破壊的イノベーションそのものなんですね。

ITの巨人・IBMが、その牙城を崩されたのはなぜか

登場時、例えばIBMは既存顧客の声を聞き、彼らの要求を満たすためにどんどん大型化する方向に進んでいきました。彼らには見えていないユーザーがいて、それはひょっとするとIBMから見るとおもちゃのようなものだったのかもしれないんですが、そんなユーザーのためのサービスをきちっと提供していくうちに、それが進化していって、やがてIBMの領域さえも覆していくようなことが起きます。

これが「おもちゃが世の中を変えていってる」という、クリステンセンの説明で言えるところになるわけです。

未来予測というところで、この方はあまり有名じゃないんですけど、もう1人ご紹介したいなと思います。ロイ・アマラという未来予測士で、もうこの世を去っていらっしゃる方なんですけれども。この方の言葉が、なかなかおもしろいです。

「We tend to overestimate the effect of a technology in the short run and underestimate the effect in the long run.」。つまり、登場時はその技術に熱狂するあまり、過大評価をしてしまいます。でも、しばらくしたら本質を見誤って、それを過小評価してしまうんだと言うんですね。

Webも最初に世に出たときに「これは世の中を変えるかも!」と思われた。でも、昔のWeb技術にはその期待に応えられなかった部分がある。

「所詮は情報の発信と受信だね」と言われていたときに、Ajaxという技術があって「Webでも、インタラクティブに動的なものを加えてアプリケーションプラットフォームになるね」って気づいて。「自分たちは過小評価してたんだ。本当にWebは世の中を変えるんだ!」ってことに気づかされると。そういったことが起きているわけです。

ですので、これも一種のおもちゃと思われていたものが世界を変えたという、別の説明の仕方になるかと思います。

インターネットの始まりは、個別のネットワークをつないでいくこと

インターネットと言われているものが今社会インフラになっているんですが、それの登場のところから今に至るまでを見てみたいなと思います。

インターネットの一番最初というのは、いろんな説があるんですけれども、1969年に生まれたと言われています。(スライドを指して)ここに「The Birth of The Internet」と書いてあるんですけれども、「The」って書いてある理由がちゃんとありまして。これは、英語版のウィキペディアの中にも書いてあるんです。

「Internet」と英語で言うと、「Inter」という言葉からわかるとおり、networkをInterする、「越える」というような意味なんですね。ですので、もともと一つひとつの個別のネットワークをつないでいくというところが、インターネットの始まりなんです。

インターネットというのは、今のDARPAの始まりになっているARPAというところで作った実験用のネットワークなんですね。東海岸のほうと西海岸のほう、大陸を渡ってそれぞれ独立した島になっているものを結びつけましょうというところ。これが、インターネットの始まりです。

インターネットのキモはパケット・スイッチ型のネットワーク

当時どういったネットワーク技術が使われていたかというと、(スライドを指して)この上のものなんですね。サーキット・スイッチと言われていて、図にあるように電話交換機と同じなんです。「◯◯と◯◯とをつなぎたいです」って言うと、その回線を完全につないでその方々に独占させることによって、そのネットワークを実現する。

インターネットのキモの部分というのは、パケット・スイッチ型ネットワークと言われているものです。「パケット」っていうのは小包の意味ですから、一旦データを個別に分割し、それを別々の経路でもいいから相手方に届けてくださいと。届いた先のほうでは、それを再度くっつけ直す、アセンブルするというやり方です。今のネットワークの基本なので当たり前なんですけど、これをやったのがインターネットの最初であると。

なのでWebがそうであるように、こういったいろんなネットワークをクモの巣状に張っていくというところの出だしは、「ネットワークのネットワークである」ということと、パケット分割が実現されたからできたというものになっています。

当時がどういう状況だったかと言うと、メインフレームの「CRAY-1」のようなマシンがあって、各社独自のネットワークがやっと出てきた状態なので、完全に別々の島だったところを結んでいくというのが、インターネットの一番の魅力だったわけです。